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zoom RSS 教育長、教育委員は、なぜ退職校長が多いか。

<<   作成日時 : 2013/04/30 11:26   >>

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昨日紹介したように、昭和31年に、教育二法の施行により、教育委員は、議会の承認を得て首長の任命するところになりました。
 これからの話は、もっぱら市町村の教育委員会の話です。都道府県教育委員会については事情がことなるので、ここでは立ち入りません。
 そうなると、首長は、教育委員の人選、なかんづく、教育長の適任者を見つけなければならなくなりました。
 彼らは、どうやって、その人選をおこなったでしょうか。私は、こんなことを推測してみました。あてずっぽうでなく、岐阜県の中の地方の町村の首長や教育長と付き合いから知ったことです。
 昭和31年は、「新市町村建設促進法が施行され、全国的に市町村合併が推進された」 時です。
これは、後に昭和の大合併と呼ばれました。
 それにより、「1953年(昭和28年)10月に9,868あった基礎自治体が1961年(昭和36年)には 3,472 になり、約3分の1に減少した。」
 3 分の 1 になるのに、8年かかっています。
 ちゃんとした data は持っていませんが、昭和 31 年に、教育委員を任命しなければならなくなった首長の多くは、その当時はまだ、人口 1 万以下の町村の首長だった、と思いますよ。
 その後平成の大合併が、平成 12 年に始まりますが、それは、その頃でもまだ、人口 1 万人前後の町村が結構たくさんあったからです。もっとも県によりますが、岐阜県では愛知県より多かったですね。
 ひとつの例をとると、平成の大合併で生まれれ下呂市は、下呂町、金山町、萩原町、小坂町、馬瀬村、と4 町1村が合併したものでした。
 合併には、下呂市のように、複数の町村が対等合併するものと、中核都市に吸収合併するものがあります。
 全国の都道府県庁所在地の中で最小だった三重県の津市は、平成の大合併で、
 「久居市、安芸郡全3町1村(安濃町・河芸町・芸濃町・美里村)、および、一志郡3町1村(香良洲町・一志町・白山町・美杉村)の計10市町村」
 が、合併しています。
 ということは、それまでは、久居市を除いて、人口 1 万前後の町村が、9つもあったことになります。
 
 このように、昭和の大合併以後も、平成 12 年までは、人口1万前後の町村が、結構たくさんあったわけです。
 これくらいの規模の町村ですと、中学校は、ひとつかふたつ、小学校は、4 つか 5 つくらいです。
 それくらいの人口があれば、その町村出身の教員も結構いて、そこの小中学校の校長になる人もいます。 
 これくらいの規模の町村ですと、顔見知りまでとはいかないまでの、どこの誰それさんは、何をしている人だ、ということは、分かります。首長ともなれば、選挙で、いろいろな人と付き合いますから、その町のしかるべき人のことは知っています。
 そこで、いざ、教育委員、まずは、教育長を任命しなくてはならなくなったとき、首長がまず考えたことは、
 「教育長とか教育委員と言ったら、教育の専門家だな。となれば学校の先生が一番いい。ただ、給料はスズメのなみだだから、現職の先生を任命するわけにはいかない。定年退職して年金をもらっている人が一番いいかな。そういえば、あそこの誰それさんは、中学校の校長先生を定年退職したばかりだ。そうだあの人に頼もう」
 ということではなかったでしょうか。承認する議員さんたちも、地元の 「先生」 だからよく知っている。ひょっとしたら、小中学校時代に習ったかもしれない。
 そして、首長は、更にこう考えたかもしれません。
 「残りの教育委員はだれがいいかな。自分より、教育長のほうが、教育の専門家だから、適任者を知っているだろう。まあ、教育長にまかせよう。」
 ありそうな話でしょう。
 そうやって、教育長が決まると、首長から残りの教育委員の相談を受けた教育長は、かっての同僚など、地元で定年後畑仕事をしている、元校長を推薦したことでしょう。
 小さな町や村では、退職教員が少ない場合は、お寺の住職や、開業医などが、教育委員になっています。 
 いずれにしても、食うに困らなくて、暇のある人です。
 こういう事情で、地方の町や村の教育長や教育委員の主力?は、元小中学校長や退職教員で占められるようになった、です。What do you think?
ここで、おもしろい (と思いますが) のは、退職高校長や高校教員が、町村教委の教育長や教育委員になることは、滅多になかったことです。なぜか?まあどうでもいいことですから、省略します。ちょっと考えればわかりそうなことです。

 もうひとつ、どうでもいいことですが、平成の大合併でもっとも割を食ったのは、退職小中学校長でした。
例えば、津市の場合、旧津市以外の九つの市町村の教育長、教育委員のポストがなくなってしまいました。合計36人です。下呂市の場合ですと、それまで 20 人いた教育委員が、4人になり、5人いた教育長が 1 人になりました。

こう書くと、教育委員は、退職校長ばかりのように聞こえますが、いつごろか、特に市部で、校長経験者以外の人を、教育委員に任命する首長が増えてきました。その場合も教育長は、校長経験者が任命されるのがふつうでしたが。
 その場合、どういう人が、任命されたか、というと、結局は首長の人脈の中から、企業経営者、病院経営者、弁護士、女性団体責任者など、時間が自由になる自営業や、女性の活動家などが、選ばれました。
 では、大学教授はどうか、というと、先にも書いたように、私が、少なくとも東海地方では、一番最初らしいです。そうでない事例をご存じの方コメントください。
 では、最初は、退職中学校長が主力?であった教育委員に、そうでない人が混じってきたか、特に大学教授がまじったのは?
 というのが、
 教育委員にどういうひとがなるの、
 という、このところの話の続きになります。
それは、明日に。
 今日は、昭和31年以降、教育委員会が公選制から、任命制に変わった時に、退職中学校長が、教育長・教育委員の主力になった事情を、私なりに推察したところを紹介しました。ご意見あれば、どうぞ。

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