なぜ「鼻が高くなるか」パスカルには分からない。
昨日、西洋人にとって、nez や nose は、court/long, または、short/long なものであると、認知論的考察を述べました。
余談ながら、フランス語の形容詞は、女性形と男性形があります(中性形もあったかな)。「長い」は、男性形は、英語の long と同じ spelling ですが、女性形は longue です。
パスカルにとって、「クレオパトラの鼻」は plus court でなくても、plus long (nez は、男性名詞)であっても、
toute la face de la terre aurait change.
ではなかったでしょうか。それを plus court として、plus long としなかったのは、なぜでしょう。
パスカルさんに訊ねてみました。そうしたら、こんな答えが、あの世から、メールで返ってきました。日本語で書いてありますので、紹介します。
われわれ西洋人にとって、nez long というと、先ず思い浮かぶのは、Pinocchio の「鼻」じゃ。
Wiki にも、
Pinocchio is known for having a long nose
と書いてあるじゃろ。われわれにとって、nez long というと、ああいう「鼻」を思い浮かべる。
ちょっと待ってください、パスカルさん。Pinocchio がこの世に最初に現れたのは、1881年でしょう。あなたは、その時には、もうあの世にいたはずですがね。(パスカル 1623-1662)。
わしは、この世から、そちらの世をずっと眺めているから、Pinocchio のこともよく知っているんじゃ。だから、Wiki のことも知っている。そうだ、Wiki で long nose は、一般的にどういうイメージか、画像があるから、みてみたまえ。
そこで、調べてみたら、こんな絵がありました。
Pinocchio や二番目三番目の場合は、fictious ですが、実際の long nose というと、最初の男性の写真のようなのが、long nose になるのでしょう。
そこで、パスカルさん。どうだ、実物はともかく、Pinocchio や二番目、三番目の絵のようなイメージが、わしにはあるのじゃ。
plus long というと、「もっと長い」ということじゃろ。そうなれば、絵の中の鼻より、更に伸びた姿を思い浮かべてしまうのだ。Cleopatra の「鼻」が、そんな風になるとは、想像もできんじゃろが。だから、
“Le nez de Cleopatre, s’il eut ete plus long, " などとは、思いつきもしなかったのじゃ。
そうだ、あんたの国に、tengu というものがいるそうじゃな。その「鼻」も、nez long じゃろ。だけど、それを「長い」でなく「高い」haut という日本人が結構いるそうじゃな。フランスでは、nez haut というと、鼻の形態ではなく、高慢ちきな人間のことじゃ。お前のところの tengu は、高慢ちきではないだろう。もっとも、高慢ちきな人間のことを、「天狗になっとる」というそうだな。
そうじゃ、もうひとつ思い出したぞ。芥川龍之介に『鼻』という短編小説があるだろう。あの話とは、『今昔物語』の「池尾禅珍内供鼻語」および『宇治拾遺物語』の「鼻長き僧の事」を題材としているそうじゃな。こちらで、先日芥川にぱったり会ってな、そういう話を聞いた。アニメになっているというので、早速見てみたら、こんな場面があったぞ。これぞ nez long、まさか、これを「高い鼻」という日本人はいないだろうな。
それにしても、日本人は、nez long (long nose), nez court (short nose) を、なぜ「高い鼻」「低い鼻」と、いうんじゃ。わしの数学や哲学では説明できんわ。
私の説明は、一応してありますが、鈴木孝雄氏が『日本語教のすすめ』(2009年10月20日新潮新書)で、同じようで違った説明をしています。
それは、明日に紹介します。
とりあえず、今日は、パスカルさんのメールの紹介でした。
余談ながら、フランス語の形容詞は、女性形と男性形があります(中性形もあったかな)。「長い」は、男性形は、英語の long と同じ spelling ですが、女性形は longue です。
パスカルにとって、「クレオパトラの鼻」は plus court でなくても、plus long (nez は、男性名詞)であっても、
toute la face de la terre aurait change.
ではなかったでしょうか。それを plus court として、plus long としなかったのは、なぜでしょう。
パスカルさんに訊ねてみました。そうしたら、こんな答えが、あの世から、メールで返ってきました。日本語で書いてありますので、紹介します。
われわれ西洋人にとって、nez long というと、先ず思い浮かぶのは、Pinocchio の「鼻」じゃ。
Wiki にも、
Pinocchio is known for having a long nose
と書いてあるじゃろ。われわれにとって、nez long というと、ああいう「鼻」を思い浮かべる。
ちょっと待ってください、パスカルさん。Pinocchio がこの世に最初に現れたのは、1881年でしょう。あなたは、その時には、もうあの世にいたはずですがね。(パスカル 1623-1662)。
わしは、この世から、そちらの世をずっと眺めているから、Pinocchio のこともよく知っているんじゃ。だから、Wiki のことも知っている。そうだ、Wiki で long nose は、一般的にどういうイメージか、画像があるから、みてみたまえ。
そこで、調べてみたら、こんな絵がありました。
Pinocchio や二番目三番目の場合は、fictious ですが、実際の long nose というと、最初の男性の写真のようなのが、long nose になるのでしょう。
そこで、パスカルさん。どうだ、実物はともかく、Pinocchio や二番目、三番目の絵のようなイメージが、わしにはあるのじゃ。
plus long というと、「もっと長い」ということじゃろ。そうなれば、絵の中の鼻より、更に伸びた姿を思い浮かべてしまうのだ。Cleopatra の「鼻」が、そんな風になるとは、想像もできんじゃろが。だから、
“Le nez de Cleopatre, s’il eut ete plus long, " などとは、思いつきもしなかったのじゃ。
そうだ、あんたの国に、tengu というものがいるそうじゃな。その「鼻」も、nez long じゃろ。だけど、それを「長い」でなく「高い」haut という日本人が結構いるそうじゃな。フランスでは、nez haut というと、鼻の形態ではなく、高慢ちきな人間のことじゃ。お前のところの tengu は、高慢ちきではないだろう。もっとも、高慢ちきな人間のことを、「天狗になっとる」というそうだな。
そうじゃ、もうひとつ思い出したぞ。芥川龍之介に『鼻』という短編小説があるだろう。あの話とは、『今昔物語』の「池尾禅珍内供鼻語」および『宇治拾遺物語』の「鼻長き僧の事」を題材としているそうじゃな。こちらで、先日芥川にぱったり会ってな、そういう話を聞いた。アニメになっているというので、早速見てみたら、こんな場面があったぞ。これぞ nez long、まさか、これを「高い鼻」という日本人はいないだろうな。
それにしても、日本人は、nez long (long nose), nez court (short nose) を、なぜ「高い鼻」「低い鼻」と、いうんじゃ。わしの数学や哲学では説明できんわ。
私の説明は、一応してありますが、鈴木孝雄氏が『日本語教のすすめ』(2009年10月20日新潮新書)で、同じようで違った説明をしています。
それは、明日に紹介します。
とりあえず、今日は、パスカルさんのメールの紹介でした。
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