「天狗の鼻」は、なぜ「高く」なければならないか。

今日は、昨日の予告通り、日本人はなぜ「鼻が高い」と言って、「鼻が長い」といわないか、パスカルさんの疑問に、鈴木孝雄氏が『日本語教のすすめ』で、どう答えているかを紹介します。
日本の学者、特に英文学者や英語学者の中には、人の説の紹介が上手な人が大勢います。私は、自分の説を述べることは得意ですが、人の説の紹介は、苦手というか、嫌いです。だから、上手く紹介できませんし、しようという努力もしませんので、鈴木氏の説を正確に知りたい方は、この本を読んでください。買うなら777円です。立ち読みならただですが、ちょっと時間がかかります。ネット上の立ち読みでは、この部分は出ていません。

昨日、氏が「同じようで違った説明をしています」と書いたのは、注意深く読んでいただかないと、なんだ同じようなことを言っているのではないか、と思われるからです。なぜ、そうか、どう違うかは、おいおい分かるでしょう。

鈴木氏は、まず、「天狗の鼻は<長い>ではなく<高い>」という説を掲げます。そして、「ですから日本人が天狗の鼻をいつも<高い>と言って、<長い>とは決して言わないことには、きっと何か言語上の理由があるはずだ」と言い切ります。すべては、ここから始まります。

例によって、ちょっと話をそらします。鈴木氏くらいの年代で、いろいろ著作を出している人で、インターネットなどの digital 環境に習熟している人は少ないでしょう。そういう人達は、google することを知りません。だから、何かを調べた、という話になると、手元の辞書を調べたら、とか、図書館で調べたら、という話になります。そうやって調べるのは、いわゆる文献です。
google で、調べられるのも、書いたものですが、最近は、その中に、twitter や blog に書かれた膨大な「書かれたもの」があります。これらは、私の blog もそうですが、特に twitter は、話し言葉に非常に近いものです。だから、ここに使われていることばやことば遣いを調べたほうが、辞書や書き言葉中心の「文献」より、はるかに実情を把握できます。そして、google すれば、瞬時に調べがつくのです。
そういうことを、ある年代以上の人は出来ません。そういう人が、手元の辞書や図書館のわずかな数の「文献」で調べた結果をとくとく?と書いているのを読むと、私はいつも苦笑を禁じ得ません。だから、そういう人の本はなるべく買わないようにしています。今回の鈴木氏の本は、「高い鼻」について、何を書いているか知りたかったので、先ずは、立ち読みしてみましたが、引用する必要があって、やむを得ず買ったものです。後で BOOKOFF へ持っていくかな。

そこでです。鈴木氏が、google を使っていたら、「日本人は、鼻が<長い>とは、決して言わない」とは、決して言わなかったですよ。
なぜなら、google の結果を見てください。
”天狗の長い鼻” 12,900
”天狗の高い鼻” 4,900

”天狗の鼻はなぜ高い” 300
” 天狗の鼻はなぜ長い” 54
”天狗の鼻は長い” 3,140
”天狗の鼻は高い” 10,600

"天狗の鼻”で始まる文では、「高い」が圧倒的に優勢ですが、「天狗の」で始まると、「長い」が圧倒的に優勢です。
これはどうしてか、いろいろ考えてみましたが、納得できる解釈にまだ到っていません。この問題は、また、後ほどのこととして、ここでは、
この事実で言えることは、「天狗の鼻」を「長い」と認知し、そのように言っている日本人が、結構いるということです。
また、Wiki 日本版には、天狗について次のような記述があります。

今日、一般的に伝えられる、鼻が高く(長く)赤ら顔、山伏の装束に身を包み、一本歯の高下駄を履き、葉団扇を持って自在に空を飛び悪巧みをするといった性質は、中世以降に解釈されるようになったもので、本来まったく性質の異なったものが習合された俗信であるとされる。
わざわざ「長く」を加えています。

英語版では、パスカル流に long だけが、使われています。
The earliest tengu were pictured with beaks, but this feature has often been humanized as an unnaturally long nose, which today is practically the tengu's defining characteristic in the popular imagination.

これらの結果を、鈴木氏は、どう判断するでしょうか。私は、昔、文部省特定研究「言語」の発表会で鈴木氏の「鼻」を少し折ったことがあります。この話以前 blog でしています。本人は、なんとも思っていなかったですが、今回は、どうかな、わざわざ知らせることもないか。

「天狗の鼻が高くなければならない」理由として、「象の鼻」と「禅智内供の鼻」は、「高い」とは言わない、あれはダラーと垂れているから。
これは、私と意見が一致しています。日本人にとって、「長い鼻」のイメージは、ああいう垂れた鼻ですので、人間の「高い鼻」のイメージとは違うわけです。昨日紹介した、人間の顔の long nose は、鼻の先が垂れていますので、ああいうのは、「鼻が長い」というでしょうね。
ところで、「象の鼻」は、英語では、trunk だと、英語の授業では教えますが、試しに goole ではこういう結果です。
"trunk of an elephant" 183,000
"trunk of the elephant" 381,00
”long trunk of an elephant”4,830
”long trunk of the elephant” 4

”nose of an elephant” 17,800
”nose of the elephant” 213,00
”long nose of an elephant” 1,190
”long nose of the elephant” 6,280

そもそも、the trunk of the elephant は、the nose of the elephant が伸びたもので、nose といえなくもないし、大体 nose 自体は、ちゃんと trunk の根元にあるわけですから、nose of the/an elephant が、これだけ hits するのは、当然でしょう。
問題は、あの長い trunk を nose そのものだと、思うかどうかということでしょう。西洋では、子供のうちは、nose と呼ぶらしいです。
どちらでもいいでしょうかね。この数字、せっかく調べましたから、皆さんで参考にしてください。

「天狗の鼻」は、「高い」という日本人も、「ピノキオの鼻」は、「高い」とは、言わないようです。google では、
ピノキオの鼻は何故長い? 54 ピノキオの鼻は何故高い? 0
ピノキオの鼻は長い 1,260 ピノキオの鼻は高い 0
ピノキオの長い鼻 2,210 ピノキオの高い鼻 6

なぜ、天狗の鼻は高いのに、ピノキオの鼻は長い、については、鈴木氏は、上手い説明をしています。面倒だから、そのまま引用します。
「日本では昔から高い山、高い樹木は常に信仰の対象でした(中略)。ですからこのように<高い>ということにプラスの価値を置く日本人が、

他人よりは突出度の高い鼻を肯定的な意味合いをもつ<高い>」で表すことになった(後略)。」
そして、ピノキオの鼻は、嘘をついた罰として、どんどん長くなったという話を踏まえたうえで、
「日本語の<高い>という形容詞が、(中略)対象の形状を客観的に描写するだけでなく、そのものに対する「肯定的な心的態度、(中略)尊敬崇拝に値するものと感じている(中略)。だから嘘をついたピノキオの鼻は、(中略)高くなったとは言い難いのです。」

いやーもう面倒くさい。人の説を紹介するのは。朝から始めて、一日中かかってしまった。
以上が、
面白い。深い。美しい。日本語は世界に冠たる大言語である。五十年の集大成、究極の日本語講座。

「日本語は英語に比べて未熟で非論理的な劣等言語である」――こんな自虐的な意見に耳を傾けてはいけない。われらが母語、日本語は世界に誇る大言語なのだ。「日本語はテレビ型言語」「人称の本質とは何か」「天狗の鼻を“長い”ではなく“高い”と表現する理由」等々、言語社会学の巨匠が半世紀にわたる研究の成果を惜しげもなく披露。読むほどに、その知られざる奥深さ、面白さが伝わってくる究極の日本語講座。

と称される、「天狗の鼻は、なぜ<高い>」の鈴木説の紹介です。
もう長くなるので、ここで sudden death.

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