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zoom RSS 「ありのままを」「ありのままに」描く時代が始まった。

<<   作成日時 : 2012/03/04 11:55   >>

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昨日、絵の描き方について、4つの場合がある、と、まあ、とんでもないこと、という人もいるでしょうが、とにかく、私の考えを紹介しました。
実は、その4つ以外にも、まだあるのですが、それは、後ほど。
 その4つとは、つぎのようでした。
 (1)「あるがまま」を 「あるがままに」描く。
 (2)「あるがまま」を 「ありのままに」描く。
 (3)「ありのまま」を 「あるがままに」描く。
 (4)「ありのまま」を 「ありのままに」描く。

 そして、ヒントとして、4つの絵を出しておきました。どれがどれだか、今までの話から、案外簡単に分かった、と思いますが。
 もう一度4枚の絵を出しておきます。
画像

 早速、「解答」です。今度は、絵は解答順に並べてあります。
 先ずは、Fra Angelico の Annunciation は、(1)
 Caravaggio の David は、(2)
 Hogarth の Before the Seduction and After は、(3)。 
 Millet の The Gleaners は、(4)。

 というのが、私の考えです。どうですか、皆さんの考えと一致しましたか。
 問題は、何を根拠に、この解答を導き出した、か、です。私の考えを「開陳」します。
 Fra Angelico に限らず、あの当時の「キリスト教画」を描いた絵描きは、「聖書」にしるされている話を、実際に見聞したわけではありません。
ですから、見たままを「ありのまま」に描くことはできません。「聖書」に「ある」話を、あるがままに描くしか、仕方がなかったわけです。しかも、その状況を見ながら「ありのまま」を描くのでなく、「聖書」に「ある」がままの話、英語で言えば、as it should be に絵描かなければ、注文主の教会に受け取ってもらえなかったのです。ここのところちょっと分かりにくいかも知れませんが、この後の Caravaggio と比較すると、分かります。
 で、Caravaggio の場合は、彼の絵のほとんどは「聖書」に基づいていますから、やはり「あるがまま」の話を描いたのですが、Fra Angelico たちが、たとえばマリアやアンナは、「聖書」で「聖女」としてしるされている存在で「ある」がままに描いたのに対し、マリアやアンナのモデルに娼婦を使い、実際のポーズをとらせて、それを「ありのまま」に描いたわけです。聖書の人物を「あるがままに」でなく、「ありのままに」描いたわけです。だから、せっかく教会から注文をつけたのに、「あるがまま」の絵を期待した注文主からは、受け取りを拒否されることがたびたびありました。
 このあたりで、ひとまずまとめますと、ルネッサンス期から、Caravaggio までの絵は、ほとんど(1)に属する、というのが私の考えです。Botticelli の The Birth of Venus も Primavera も、ギリシャ神話の「あるがまま」を「あるがままに」描いたものです。
 当時の絵の注文主が教会の場合は、「聖書」、Medici のようなギリシャ・ローマ古典「かぶれ」は、神話にもとづいた「あるがまま」の絵を注文しますので、雇われ絵描きとしては、そういう話に「あるがまま」を描かざるを得なかったわけです。
 「あるがまま」の話を「ありのまま」に描いたのは、Caravaggio だけ、というのが、これも私の考えです。同意するもしない、も、ご自由ですが。
 では、「ありのままを」「ありのままに」描いた絵は、当時はなかったか、というと、実はあった、というのも、私の考えですが、今そこに立ち入ると話が混乱しますので、後ほどにします。
 そこで、Hogarth の絵は、なぜ、(3)か、です。それは、こういうことです。
 彼は、当時のロンドンの、自分が目撃した市井の生活の「ありのまま」を描いたわけです。しかし、それを描くときには、見たままを忠実に描いたわけではないし、ここにあげた絵は、実際その場に居合わせて描いてのでは、ないでしょう。誰が浮気の現場に絵描きを入れて、描かせるものですか。だから、Hogarth は、こうだろうと自分で「あるがままに」想像して描いているのです。
 ヴェネツィアの Pietro Longhi の場合は、注文主を描いているので、その場にいて「ありのまま」を描いている、と考えるかも、知れませんが、注文主としては「ありのままに」描かれたら困るのでしょう。「ありのまま」より、もうすこし「美人」に描いて欲しいとか、家の中は、いつもとり散らかっているのに、描いてもらうときだけ、ちゃんと片付けるとか、Caravaggio なら許さない状況で、注文主が、as it is でなく、as it should be とするものを描いているから、(3)になるのです。
 そこで、最後の Millet の The gleaners です。この絵について、The Story of Art で、著者の L. H. Gombrich は、次のように書いています。
 He (Millet) wanted to paint scenes from peasant life as it really was.
要するに、「ありのまま」を「ありのままに」です。
 そして、
 It is curious to reflect that this should have been considered revolutionary, but in the art of the past peasants were generally seen as comic yokels as Brugel had painted them...
 おかしなことに、この絵のように、「ありのままを」「ありのままに」描くことは、革命的と考えられたのです。
 ちょっと注釈が要りますが、「ありのまま」という場合、普通の人々が生活をしている「ありのまま」という意味です。絵描きの周りのありふれた「ありのままを」「ありのままに」に描いた絵がなかったのです。たとえば、他の国からの旅行者が、日本の「ありのまま」の姿を見たい、と言ったら、東京・京都などの観光地の神社仏閣だけ見てはダメでしょう。われわれ庶民の普通の飾らない生活を見なければ、金がなくて困っている人は、朝から晩まで、残業しながら働いている、日本人の「ありのまま」を見せないと、日本の「ありのまま」は分かりません。
 そういう意味で、Millet までは、世の中の「ありのまま」を描いた絵描きはいなかったのです。なぜなら、「ありのまま」の貧しい人は、絵を注文するお金がないからです。それまで絵描きは、金を払ってくれる人の注文した絵しか描いてこなかったのです。

 この絵について、著者は更に書いています。
 There is no dramatic incident represented here, nothing in the way of anecdote.
 この絵は、Hogarth のような、London の dramatic な scene とは、まったく違います。ここで anecdote に注意すべきです。Web上の英和辞典では、「(特定の人物・事件にまつわる)逸話」となっています。
 Millet 以前の絵には、歴史上の人物や、事件に関する話、つまり、dramatic な事柄を扱ったものが多かったのです。
 この絵にあるのは、
 Just three hard-working people in a flat field where harvesting is in progress. They are neither beautiful nor graceful.
 こんな scene は、「絵」にならなかったのです。
この絵は、ここに描かれている農婦たちが、Millet に頼んで描いてもらったのではないので。一番右の農婦の「ごつい」腰周りな、決して美しいといえない顔を見てみてください。金を出して頼んだのなら、「こんな風に描いて」と言って怒ってしまうでしょう。
画像
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 ここで、Millet は、絵画史上、初めて「ありのままを」「ありのままに」描いたのです。
 そして、これ以降、そういう、従来なら「絵」にならない「絵」が、今度は主流になってきます。なぜ、そうなったのでしょうか。頭の体操になります。考えてみてください。
 こんなことばかり考えていると、頭が、だんだん???ですね。何とでもご想像を。

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