「絵描き」は、「ありのまま」が好き。

  「ありのまま」を「ありのままに」描くのは、Millet (その他のバルビゾン派の画家)によって始まった、と、昨日書きました。
  http://en.wikipedia.org/wiki/Barbizon_school
  これは、私の私見でなく、美術史の定説と言ってもいいでしょう。
  そうれはそうですが、これからが、私の独自の見解です。素人とは、好き勝手が言えるのです。
  以前にも述べたことですが、「絵」を描きはじめる人は、普通は「写生」から始めます。「写生」するのは、風景や草花・置物などの静物 still life です。人間は、描くのが難しいので後回しになります。その一方で、プロの「絵描き」になるには、人体デッサンで、人間を「写生」することから始まります。
  有史前の洞窟画の時代から、絵というのは、基本的に自然界にあるものの「ありのまま」を「ありのまま」に写すことが基本でした。
  ルネッサンス前期に、「絵描き」という職業が生まれたとき、職人として「絵描き」になった人たちも、花鳥風月など、身の周りの「ありのまま」をありのままに」描くことが得意であったはずです。
  ところが、そういう絵を描いても、誰も買ってくれないので、仕方なく教会から注文された「聖書」の話の「あるがまま」を「あるがままに」描かざるをえなかったのです。しかし、実際は、風景など「ありのまま」を「ありのままに」描きたくてしかたなかったので、「あるがまま」の絵の中に、工夫して「ありのままの」風景などを「ありのままに」描いていました。
 そして、多くの画家は、途中の道中での風景が描ける「エジプトへの逃避」を好んで描いています。ということは、以前に「ダ・ヴィンチは風絵画が描きたかった」というブログで指摘しました。出来れば、その前後もう一度読んでください。http://76871734.at.webry.info/201201/article_13.html ダヴィンチ
  更には、「絵描き」とは呼ばれなかったですが、装飾写本 illuminated manuscript の、装飾 illunination を担当した「絵の得意な人」は、装飾として、写本の「聖書物語」と関係のない、動物や花々や風景などの「ありのまま」を「ありのままに」描いてちりばめました。このことも、下記ブログで指摘しました。
  http://76871734.at.webry.info/201201/article_17.html 装飾写本
  装飾写本は、当初は修道院で作られていましたが、後には、プロの写本工房で作られるようになり、そうなると、「聖書」だけでなく、王侯貴族の生活や、歳時記では、農民の農作業や生活の「ありのまま」が「ありのままに」描かれています。Tres Riches Heures du Duc de Berry (ベリー候のいとも豪華な時?書」は、もっとも有名なものです。
http://en.wikipedia.org/wiki/Tres_Riches_Heures_du_Duc_de_Berry
 下の画像は、その2月のページです。じっくり見てください。
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  なにか「ありのまま」が「ありのままに」描かれているのに、気づきませんか。普通の本のページの大きさでは、気づかない人が多いようです。
 そこのところを拡大します。
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 三人の農夫:農婦の中、一番左の農婦と真ん中の農夫の局所を見てください。割れ目や penis が描かれているのが、分かるでしょう。この時代の農夫:農婦は、underwear をつけてなかったのです。絵を描く人は、そんなところまで「ありのまま」を「ありのままに」描くことが好き?だったのです。
  まったく余談ですが、日本でも、昭和の初めまでは、女性は underwear をつけてなかったですね。
  1932年(昭和7年12月16日9時15分、東京市日本橋区(現=東京都中央区)の百貨店白木屋の4階玩具売り場から突然出火、山積みにされたセルロイドの人形に燃え移って、4階から7階までが炎と煙りに包まれた。逃げ遅れた4階以上の店員たちは脱出を試みたが、転落などで死者14人、負傷者130人の大惨事となった。東京では初めての高層ビル火災であった。
 このとき、白木屋ズロース伝説が生まれました。4階以上の女店員たちは、ロープを伝って脱出する際、着物すそがめくれて、腰まきが開いて、Courbet 流に言うなら、the origin of the world が丸見えになるのを恐れて、ロープにつかまるのに躊躇したり、つかまっても片手で着物をおさえようとして、ロープから手が離れて転落死したものが多かった、というのです。それ以来、火事にそなえて?ズロースをはくようになった、という話です。
http://www001.upp.so-net.ne.jp/fukushi/year/1932.html#society
 誰か、絵描きがこの火事を目撃していたら、「ありにまま」を「ありのままに」描いたでしょうか、な。
 Peter Brugel の Tower of Babel は、ご存知でしょう。
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3月2日のNHKBS Premium の『極上美の饗宴』で、建築家・藤森照信氏が、この絵を何十倍に拡大した画像で検証しました。そこで建築家の目で分かったことは。
  作業員の作業の様子は、当時の建築現場を実際に見ていた人にしか、わからないようなことが細かく描かれている。ある作業をするのに、どれくらい人数がいるか、とか、そういうことも精密に描かれている。
 また、建設作業に直接携わる人以外も描かれている。たとえば鍛冶屋は、作業に必要な道具をすぐに作る役目だが、こういうものまで、ちゃんと描いているのは、当時の建築現場を知り尽くしていないと出来ない表現である。
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 その他、寝そべったり、洗濯物を干したりと様々な作業員…。みな、当時実際にあった風景や風俗をもとに描かれた。
 絵の主題は、「バベルの塔」という旧約聖書の anecdote に基づいているので、それは「あるがまま」の絵ですが、細部には当時の「ありのまま」を描いていたのです。
 そしてまた、Brugel 研究家の森洋子氏によれば、バベルの塔の背景に広がる都市は、Brugel が住んでいた Brussels の町並みで、彼が結婚式を挙げた教会も描かれています。そういう絵の主題と離れたところで、彼は当時の「ありのまま」を「ありのままに」描いていたのです。
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 このように、本来「絵描き」は、見たことの「ありのまま」を「ありのままに」描きたいという本能を持っているのです。絵描きに限らず、絵を描く人は、そう思うのが普通です。しかし、それが、今まで指摘してきたような事情で、飯のために、犠牲にせざるを得なかったのです。
 それがなぜ、Millet の時代には、できるようになったか。
 先走って結論を言えば、すでに一昨日のブログで、そのようなタイトルをつけたように、注文主の注文に寄らず、自分で自分の描きたい絵を描けるようになったからです。では、なぜ、この時代にそういうことができるようになったか。明日はそのことについて、です。

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