「映画」は、第七芸術。「写真」は?一連托生。

「写真」が、特に日本において、なかなか芸術と見なされなかったのは、「映画」に原因があるのではないか、というのが、今日の話です。いろいろネットで調べても、そういうことを言っている人はいないのですが。だから、そんなことおかしいと思うか考える人もいるでしょう。まあ、読んでみてください。賛成するもしないも、ご自由ですから。ご意見あったら、ご遠慮なく。
 「写真」と「映画」は、別物、とまでは行きませんが、本質的に違うものだ、ということは、今までも、確か、三度指摘しています。英語では、「写真」はphotography。「映画」は、film とも言いますが、一般的には、movies/moving pictures/motion pictures が使われます。いずれも「動く」ということが言い表されています。要するに「動画」です。一方、「写真」は、「映画」の still photo (日本語では、「スチール」)からも分かるように、still、即ち「静止画」です。
 「映画」は、動きを撮るのに対し、「写真」は、Cartier Bresson が言うように、Image à la sauvette、流れ行く scene の一場面を、still に (静止状態)撮るものです。
 またぞろ、側線に入りそうですが、「決定的瞬間」、decisive moment というと、「時間」の問題のようですが、Bresson は、ちゃんと image を使っているように、「瞬間」という「時間」でなくて、流れる scene の中の、言ってみれが、決定的な image の問題です。「時」という「タテ」軸でなく、流れる scene という「ヨコ」軸の問題です。これ、私の独創のようです。独想かな?
 また、これは後ほど詳しく取り上げますが、「写真」は、photo+graphy、訳せば、「光を描く」ものです。「光」は、そもそも「色」がない、というか、「白色」で、「光」のないところが、「黒」です。
photo+graphy とは、「光」と「光のないところ」を graph するものです。だから、本質的に monochrome で、photographer は、monochrome の「写真」にこだわるのです。
この側線、もっと先へ行きたいところですが、また、後から戻るとして、本線に入りなおします。
 
 このように、「写真」と「映画」は、違うものなのに、なぜ同じように、見られてしまうのか、といえば、デジタル化される前は、どちらも film を使っていたし、現像の仕方も共通していたので、その共通の部分に目が行っていたのでした。
 しかし、よくよく考えれば、「写真」は、現像した後、enlarge & print、引き伸ばし、焼付けしますが、映画の film は、「現像」までです。
 しかし、「写真」の film は、1枚単位なのに対し、「映画」は、film が連続しています。あれは、素人目には、「写真」の連続と写ります。
 だから、日本語では、「映画」が出始めたころは、「活動写真」と呼ばれました。動かない「写真」に対して、「動く写真」という認識をしたのです。そういう認識だから、「写真家」も「映画撮影技師」も、どちらも「カメラマン」になってしまっています。
 で、肝心な話は、両者の違いではなく、同じようなものと考えている人が多いことから来る「誤解」のことです。
 ちょっと長くなりますよ。
 先ずは、「映画」は、芸術であるか、どうか、です。
 有名な「映画第七芸術論」というのがあります。
 フランスのリッチョット・カニュードという人が、1911年に『第7芸術宣言』を著して、「当時、映画は大衆娯楽でしかなく、芸術としては認められてはいなかった」状況に対し、映画は、芸術だと宣言したのです。詳しくは下記サイトを。
http://artscape.jp/dictionary/modern/1198689_1637.html
また「映画は見世物から第七芸術へ」という、下記サイトのブログも参考になります。
http://shisly.cocolog-nifty.com/blog/2008/02/post_bcab.html
 それでは、第六までは、何か、ということに当然興味がわくでしょう。これも側線になりますし、上記サイトに記されていますので、ここで紹介するまでもないですが、別のサイトから紹介します。フランス語のサイトです。11番目まであります。
premier art : architecture (建築)
deuxième art : sculpture (彫刻)
troisième art : peinture (絵画)
quatrième art : musique (音楽)
cinquième art : poésie (詩)
sixième art : danse (舞踊)
septième art : cinéma (映画)
huitième art : télévision, art dramatique, photographie (Incertain) (テレビ、演劇、写真) ただし、incertain とは、不確か、決定的ではない、ということです。
neuvième art : bande dessinée (漫画)
dixième art : jeu vidéo, jeu de rôle, modélisme ferroviaire (Incertain)
(ビデオゲーム、ロールプレイゲーム、鉄道模型)
onzième art : art numérique, multimédia (Incertain) (デジタルアート、マルチメヂィア)

http://fr.wiktionary.org/wiki/premier_art
まあ、最後のほうになると、全部 incertain で、ムリして順位付けをしている感じです。
7番目に舞踊だけでなく、演劇を持ってくる説もあります。総合芸術と呼ばれるオペラがないのは、おかしいです。多分六番目に、バレー、オペラ、演劇として、舞台芸術としてくくるのが、妥当でしょう。
 これも側線的ですが、オペラが総合芸術と呼ばれるのは、それまでの「建築」、「彫刻」「絵画」が、舞台装置の設計に必要で、そして、「詩」である歌に「音楽」をつけたものを、歌うだけでなく、歌いながら演じ、また、バレーもついていることが多いので、総合芸術と呼ばれたのです。
 「映画」は芸術である、という考えは、日本にはいつ頃から入ってきたか分かりませんが、その手かがりになるものがあります。それは、「寺田寅彦随筆集 第三巻」岩波文庫にある「映画芸術」と題する随筆です。1948(昭和23)年5月15日第1刷発行です。しかし、書いたのは、昭和8年です。下記サイトで全文を読むことが出来ます。これは、随筆というより、本格的な学術的論文です。かなり、長いし、難しいこと書いてありますから、読むなら覚悟してください。
 この時までに、寺田寅彦が、どのような映画を見ていたか、この「論文」の中には、具体名は2,3しか出ていませんが、日本映画については、次のように書いています。
自分の見た範囲では遺憾ながらどうひいき目に見ても欧米の著名な映画に比肩しうるようなものはきわめてまれなようである。
 この「寺田寅彦随筆集」岩波文庫版が発行された昭和23年の1年後に、私は中学1年になっています。昭和24年に、私より一歳年下の美空ひばりが映画デビューしています。その三作目の「悲しき口笛」と翌25年の「青空天使」「東京キッド」を、隣町の映画館で、学校の帰りに見ました。
画像

 そして、昭和30年、元祖三人娘と呼ばれた、美空ひばり、江利チエミ、雪村いずみの「ジャンケン娘」がヒットしました。このシリーズは、その後、「ロマンス娘(1956年、東宝)、「大当り三色娘」(1957年、東宝)「ひばり・チエミ・いづみ 三人よれば」(1964年、東宝)と続きます。昭和30年といえば、私は、大学一年生です。
画像

 こういう映画を、大学生までもが、喜んで見ていたとすれば、当時の日本映画は、やはり、娯楽映画が主で、「芸術映画」はあったでしょうが、普通の映画館で上映されることはなく、普通の人、つまり、people が見る機会はなかったのです。
  一方、「映画」のメッカ、ハリウッドの映画は、もっぱら娯楽路線で、そういうものが、日本における戦後のアメリカブームにも乗って、沢山上映されました。ボップ・ホープの「腰抜け二丁拳銃」(原題、The Paleface)は、大ヒットでした。西部劇の名作「シェーン」を高校三年の時に見ました。西部劇には名作が数々ありますが、芸術映画とは、すくなくとも、いまのところ見なされていないようです。
 私は大学時代、新宿京王線の沿線桜上水にあった「愛知県人会館」に大学三年までいました。(大学4年の時に、県人会館が、茗荷谷に新築移転しました。)大学は、茗荷谷でしたから、新宿で山手線に乗り換え、池袋から地下鉄丸の内線です。通学の帰りや休日には、新宿をよくぶらぶらしました。その新宿に「日活名画座」という映画館があって、入場料は40円でした。当時、100円あれば、新宿で一日遊べるといわれていました。午前中「風月堂」などで、30円のコーヒーでレコードを聴いて粘り、昼ごはんは、30円のラーメンですまし、そして、40円で洋画を見る、というのです。
ちなみに「風月堂」は、芸術家の卵の集うところで、新進の画家の絵の展示もしてました。まだ、有名になってなかった香月泰男の絵を初めて見て感銘したのは「風月堂」でした。
 その日活名画座で上演されたのは、もっぱら、ヨーロッパの芸術映画でした。「天井桟敷の人々」「ヘッドライト」「リラの門」「望郷」「肉体の悪魔」などなど、数々の名作を見ました。
 しかし、それは、東京の新宿にいたからできたことであって、東京以外の、日本の各地の人には、無縁のものでした。
 川喜多かしこさんが、ATG を設立したのは、1961年(昭和36年)です。この時私は、名古屋大学大学院一年生。名古屋の「名宝文化会館」が、ATG 専門劇場になりました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/日本アート・シアター・ギルド
 これは、「当時欧米に存在していた芸術映画を専門に上映する映画館」をまねて、日本でも芸術映画を上映しようとするものでした。しかし、日本では、まだ、芸術映画と呼べるものがなかったので、「初期のATGの活動は主に日本国外の芸術映画の配給・上映であった。」
 その「名宝文化会館」で、私が見た映画に「バルタザールよ、どこへ行く」は、まさに芸術映画と呼ばれるものでした。1970年の公開ですので、大学院博士課程三年の時らしいです。
画像

 2,3年前、この映画を「ひかりTV」の、洋画専門チャンネル「IMAGICA」の番組に見つけた時は嬉しかったですね。もちろん録画してあります。 
  ちなみにこの映画を通じて流れている音楽はシューベルトのピアノソナタD.959の第2楽章。心に沁みます。この曲、シューベルトのどのソナタか、分からずずーと気になっていました。CD が出回り始めた頃ポリーニの演奏で、この曲を突き止めたときは、嬉しかったですね。
 この映画について、Nouvelle Vague の旗手と言われるFrançois Truffaut は、
“この映画は美しい。そう、私にとってただ美しいのみである……”
http://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=18646
 「映画」は、美しいのです。「美しい」というのは、芸術・美術が備えているものです。

 しかしですね。ここがポイントですが、せっかく ATG が出来ても、そういうところで、芸術映画を見る人は限られています。一般の people は、依然として、商業劇場で、娯楽映画を楽しみ、テレビの娯楽番組や「韓国ドラマ」を見ています。テレビで放送される映画は、娯楽映画ばかりです。芸術映画では、視聴率が稼げませんから。
 ということで、「活動写真」の映画が「芸術」として認識されなければ、それと同類の「写真」も「芸術」にならないのです。
 更に「写真」にとって、具合の悪いことには、「活動写真」は、映画館の大きいスクリーンで見ますが、写真は、雑誌や本に載ったのでも、せいぜいA4 サイズ、普通の写真は、デジカメからのプリントでも、ハガキサイズ。スライドで拡大してみる人は、めったにいません。これでは、たとえ「芸術写真」でも、本領発揮できません。
 というように、「活動写真」のせいで、「写真」の芸術認知が遅れている、という「考えつき」は、どうお思いますか?異論あれば、どうぞお聞かせください。
 何か、くどくど長くなりましたね。お互いお疲れ様です。

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 1

面白い

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック