「たったひとりの反乱」始まる。英語教育界の。

  昨日までの話は、1970年(昭和45年)までの話です。主任の M 教授が定年退官されたのは、1972年(昭和47年)の3月で、私が晴れて「英語科教育」担当ポストに移ったのは、その年の4月でした。私は、1970年の4月1日付けで、助教授になっていました。
今日のタイトルの「たったひとりの反乱」を、私が起こしたのは、1972年の後期のことでした。
  1970年から、1972年の間に、この反乱と関係の深い出来事がふたつありました。
  ひとつは、1971年頃から各地に英語教育学会が誕生したことです。これについては、後ほど、「英語教育学会誕生秘話」とでも題して、私だけが知っていることもありますので、別に entry します。
  もうひとつは、私が 1971年9月15日から、1972年9月14日まで、文部省在外研究員として、UCSD に滞在していたことです。このことは、このブログでも時々触れています。
  このふたつの出来事は、私の反乱とは、直接関係ありませんので、この間を飛ばして、documentary は、1972年後期までとびます。
  
  もう正式に「英語科教育」担当になったので、誰はばかることなく、英語教育の研究と授業に専念できるようになって、最初に私がしたことは、アメリカから学生たちに手紙を出して、1972年の卒業論文は、次のテーマを選ぶものに限って引き受けると宣言したことでした。テーマとして、10個ばかり並べ、その中から選択せよ、と迫った?わけです。
  まあ、4,5人おればいいか、と思って、帰国してみたら、9人も希望者がいました。19人中の9人というのは、英文科では前代未聞。全国の教員養成大学でも、そんなに大勢英語教育の卒業論文が出るのは、かってなかったはずです。(これ推測)
  このことは、別に「反乱」とも思っては居ませんでしたが、他の教員にとっては、英語教育の「反乱」と写ったかもしれません。(これも推測)
  で、意図的な反乱は何だったか、というと。
  岐阜大学の教育学部の学生用の時間割には、「英文学演習」とか「英語学概論」とか、専門科目とされている「英語学」「英文学」の名を冠した「講義題目」を並べていました。
  私が正式に「英語科教育」担当になる前は、仕方がないので、そのような題目のもとで、実質英語教育の内容を扱わざるを得ませんでした。
  正式に「英語科教育」担当になり、英語教育の内容の授業をするとなったので、授業題目を、例えば「カリキュラム開発の理論と実際」というような長いのにして教務に提出しました。
  そうしたら、教務係長の T さんが、「先生、この授業は、英語学ですか、英文学ですか」と言いました。
  英語教育学会が発足して、英語教育学という分野も認知され始めていた頃ですので、
  「これは、英語教育学だ」と言いました。
 「英文科に、そんな専門科目はありません。英語教育の授業なら教科専門で、教職科目になります」
 「私は、英文科の教員だから、その私が英文科で行う授業は、英文科の専門科目になるんでない?」 
 「それは、そうかもしれませんが、英語教員免許取得に必要な32単位の必須16単位以外の16単位は、英語学と英文学になっているので、英語教育の単位は、その16単位にカウントできませんよ。」

  こういうと思ってたから、ちゃんと調べてありました。
  「愛知県立大や南山大の英米科では、専門科目のアメリカの社会とか、イギリスの歴史、というのが、16単位の中にカウントされてますよ。」
  「英米科は、それでいいかもしれませんが、ここは、英文科だから、ダメです。」
 とまあ、こんなようなやり取りです。これを、傍で聞いていたら、皆さんどう思いますか。どちらに肩を持ちますか?
  実は、このやり取りを聴いていた教務科の若い事務員がいました。I さんです。今でもこの人には感謝しますね。
  彼曰く、「係長。教員免許取得単位の表の付則の2に、必須単位の残りの16単位は、学科の定める専門科目で充足することができる、と書いてありますよ。」
  そのことは、実は、私も係長も知らなかったのです。なぜなら、学生に渡していた、免許取得に関するパンフレット(のようなもの)には、付則2は、省かれていたのです。何故か知りませんが。その係員は、私があまりに熱心で後に引かないので、ひそかに調べてみたのです。
  そうなると、学科が専門単位と認めれば、よいわけです。学科の専任教員である私が学科の学生に対して行う授業の単位が、その学科の「専門科目」にならない、となったら、どうなるでしょうね。
  私は、「英語教育学科」でも作ってそこへ移るしか仕方ないではないですか、とまでは言いませんでしたが、いざとなったら、そうしたろうか、と思いました。そんなこと実際できたかな。
  余計なこと言ってないで、どういう結果になったか、というと。
  そこで、分の悪くなった係長は、
「こういう前例のない大事なことは、私の一存では決めれないから、教務委員長に相談しなければならない」と来ました。
 その時の委員長は、数学科教育担当の I 教授でした。彼は、教職科目の「数学科教育法」のほかは、数学科では、数学の専門科目と担当していました。
  その日のうちだったか、翌日だったか覚えていませんが、その話を聞いて、
 「なるほど、藤掛君の言うことは、一理ある。けど、これは前例のないことだから、一応教務委員会に諮ったうえで、教授会にかけないかんな」と来ました。
  そこで、私が「伝家の宝刀」を抜きました。
 「先生たちは、日ごろから教育・研究の自由を言っているでしょう。前例というなら、今まで、ある教官が行う研究や教育のための授業を、適切かどうか、教授会にかけたことがありますか???」
 正に正論です。ぐっと詰まった I 教授は、前置きに何を言ったか忘れましが、
 「それでは、一日考えさせてくれ。」と言いました。
 そして、翌日私を呼び出して、
 「一晩考えたけど、君の言うとおりだ。」
 その後にどういうことばが続いたか、忘れましたが、要するに「勝手にやれ」ということです。悪い意味でなくてです。
 それにしても、40年前の、このやりとり、ことば通りではないにしても、よく覚えているものでしょう。
 この I 教授、広島大学の出身でした。当時教員養成学部・大学では、茗渓会という東京教育大グループと尚志会と呼ばれる広島大グループが覇権を争って?いましたが、この I 教授、その後何くれとなく、私の面倒を見てくれました。まあ、大学院は名大でしたからかな。
 このこと、「たった一人の反乱」と呼ぶには、ちょっと大げさと思う人がいるでしょうが、実は、これは、「反乱」の手初めであって、この後も「たった一人の反乱」が、学内だけでなく、学外でも、繰り広げ?られるのです。続きを、お楽しみに。

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