英語教育卒業研究は、もの作り。「論よりモノ」

今日は、最初に、お断りすることがあります。
 そもそも、最近の一連のブログエントリーは、次のような次第でした。
  高齢者が、tablet や Kindle などで、カッコよく、英語を読んだり、視聴したりして、孫たちを impress する。
  しかし、現在の高齢者は、大学出が多いのに、ほとんどが英語不能者である。
  彼らが英語不能者になったのは、彼らの責任ではなく、Ancient Regime 下の学校英語教育で、偏った、undigestive、Kreshen に言わせれば、imcomprehensible な、英語栄養材(剤)ばかりを食べさせられていたからである。
  今からでも遅くないので、適切に調理・配合した献立の英語料理を食べれば、英語脳が育って、英語を習得できるのです。
  先走っていえば、そのためには、英語栄養士とも言うべき職業、言ってみれば、私の専門の英語学習カリキュラム開発・設計士のことですが、そういう人を各市町村に配属して、市民の英語学習の相談に乗ると、いいと思っています。
  そういうことを話すために、いかに英語教育界が、それも、日本の学校英語教育に責任を負うべき、教員養成学部の「教英文」までも、いかに Ancient Regime の支配下にあったか、世間の知らない「事実」を disclose してきたのでした。
  そして、それが、そこまで言ってよいかどうか分かりませんが、私の打った起死回生の「奇手」「妙手」によって、やっと、少なくとも英語教員養成の世界では、Ancient Regime を倒し、英語教育の renaissance が訪れた。

  というのが、昨日までの話でした。なかなか、上手にまとめましたね。
  最近の視聴率の動向を見ますと、ちょっと下がり気味にはなってますが、まだまだ、興味があるようなので、もう少し先まで続けていきたくなった、というのが、今日の前もってのお断りです。
  前置きはこの辺にしておいて、早速昨日の続きです。
  そのようなわけで(どのようなわけか、分かりますね)、英語教育を卒業研究に選ぶ4年生が、20人近くにもなって来ました。他の大学の英語科教育担当の人たちが、いったいそんなに大勢をどうやって指導するのか、と疑問に思ったのも無理もないことでした。
  そこで、新たな「奇手・妙手」を考え出したのです。
  「奇手・妙手」というと、突然思いついたか、偶然の産物か、気まぐれが高じたものと思う人が多いようです。このところ、「奇手・妙手」と並べて書いてますが、これは、人は「奇手」というけど、本人には「奇手で」でもなんでもなく、まさに「妙手」だからです。
  将棋の名人、特に「生涯新手」を目指した升田幸三名人に聞いてみればわかるでしょうが、「奇手・妙手」は、一夜にして、あるいは、対局のその場で僥倖的に生まれるものではありません。寝ても覚めても将棋のことを考えていて初めて生まれるものです。羽生名人にも聞いてみるといいですよ。
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  だから、私の「奇手・妙手」も、日夜、寝ても覚めても英語教育のことを考えているからこそ、生まれたものなのです。ちょっと自慢たらしいですね。
  で、どういう「奇手・妙手」を考えついたか、です。
  大学では、卒業の条件として「卒業論文」を課すのが普通です。「論文」といえる代物ではないので、「卒論」と通称呼ばれています。しかし、芸術大学の音楽学部や美術部では、「卒業演奏」や「卒業制作」の方が、大きな比重を占めています。確とは知りませんが、学則に「卒業論文」を課すと書いてある場合には、仕方なく、簡単な書き物を添えることもあるようです。
  教員養成学部には、学校の教科である「音楽」や「図画工作」「美術」の教員養成を担当する「音楽科」「美術科」があります。
  確か、1973年頃のある時の教授会で、そのふたつの学科から、自分たちには「卒業演奏」「卒業制作」が重要だから、学則の「卒業論文」という語句を、改めてもらいたい、という要望が出ました。だからといって、三つもの名前を併記するのは、わずらわしいので、「慎重審議」の結果、「卒業研究」で統一しようと、いうことになり、学則の字句もそのように変えられました。
  日ごろぼんやりしている人には、この事態を受けても何も思いつかないでしょうが、そこは、私。
  しめた、と、その場で「奇手・妙手」が浮かびました。
  要するに、「卒業研究」となったら、私の研究室の「卒業研究」では、「論文」を書く必要はなくなるわけです。「卒業制作」でもかまわないことになります。言ってみれば、「もの作り」です。更に言えば、「論より、モノ」です。
  これより先、私の研究室で卒業研究をする学生は、「もの作り」に励み、それも、個人個人でなく、collaboration で。
  そして、「論文」も「卒論」も書かなくなります。書いてもかまいませんし、書くことを禁じてもいませんでしたが、書いた人いたかな。
  これより先、教育学部で研究者要録というのを作ってました。その項目に、「研究の内容・目的」というようなものがありました。
  そこに、私が書いたことです。
  「100の論文より、ひとつの学習材開発」(当時の風潮に従い、誤解を避けて分かりやすくするために「教材」と書いたかもしれません。)
  こういうのを「先見の明」というのでしょうね。
  こういうことを日ごろから心がけていたので、「卒業論文」が「卒業研究」になったのを、すぐと千載一遇のチャンスと捕らえることができたのです。
  その結果、どうなったか、このブログを読んでいる、私の研究室出身なら、よく知っていることですが、世間には、あまり知られていないので、この後、2回くらい、この話を紹介したいと思います。
  題して、「SF Pro 誕生物語」。お楽しみに!?

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