モバイルメディアが「感覚比率」を変える。そうなると?

昨日の最後は、こうして終わっています。
そこで、この中日新聞の「記事の取り上げ方」と「識者」のコメントを取り上げたのは、「米国から考える」とか、「日本にはいない」「日本の親たち」というコメントが、「グローバル・パーソン」なら、思いもしない考え方だからです。
 なぜ、そうか。皆さんも一晩考えてみてください。
 
 一晩考えてみた人、いたでしょうか。いなかった、と思いますが。
 実は、私も、一年半まえなら、こんなこと思わなかったのです。
 今日は、私が、こんなこと思うようになった、きっかけを話し始めます。それは、「グローバル・パーソン」への道を歩き始めたことでもあるのです。
 その道を辿れば、皆さんも、なりたければ、「グローバル・パーソン」になることができます。子や孫を「グローバル・パーソン」にする手助けもできます。教師をしているひとなら、生徒・学生にその道を示すこともできます。もっとも、まず、自分が「グローバル・パーソン」にならなければなりませんが。
 それより前に、「グローバル・パーソン」って、そんなになったらいいものか、と思うことが大事かな。まあ、これからの話にしばらく耳を傾けてください。(眼を通すかな)
  
 このブログを長らく読んでいる人は、気がついているか、覚えているでしょうか。
 実は、一昨年、7月27日の entry で、
 「グローバル、グローバルと喧しい。」
 から、始めてめて、8月1日の
 「グローバル人材の要件」
 まで、6回にわたって「グローバル人材」について書いています。
http://76871734.at.webry.info/201107/article_27.html
http://76871734.at.webry.info/201108/article_1.html
 その後も、その「要件」として、「英語の環境利用効率」について書いています。

 このタイトルからわかるように、その頃は、世間並みに?「グローバル人材」にだけ耳目が行っていて、「グローバル・パーソン」などということは、考えてもいませんでした。人間進化するものですねぇ。進化しない人もいますが。それどころか、退化する人もいます。(余計なことでした。)
 
 その私が、「グローバル・パーソン」に、じょじょに目覚めたきっかけは何であったか、というのが、今日の main theme です。
 と、大きくでましたが、いや、大したことではないです。
 私の XPERIA の「ジョルテ」(システム手帳アプリケーション)を見てみると、2011年7月22日に、XPERIA を使い始めています。
 そして、10月16日に、Kindle が到着しています。
Nexus 7 が、Singapore から到着したのは、2012 年の 10月5日です。
 Kindle も Nexus 7 も、日本で買えるようになって、すぐに order したものです。
 この「ジョルテ」便利ですよ。以上のことを調べるのに、紙の手帳だったら、一昨年のと、去年のとを引っ張り出して、めくりめくりして探さなければなりませんが、「ジョルテ」なら、過去何年分でも、この先の何年分でも、「一冊」?に記録できます。探すのは、検索で一発です。
 https://play.google.com/store/apps/details?id=jp.co.johospace.jorte&hl=ja
 
 Smartphone/tablet や、Kindle が、「グローバル・パーソン」とどういう関係があるの、と、こういうものを使ってない人には、ちょっとわかりかねる話かもしれませんが、まあ、この先、あきらめずに?読んでください。

 それまでも、私は、PC 上で、twitter、blog などの SNS に馴染んでいました。e-book は、Kindle を手に入れたからです。
 PC は、立ち上がるに時間がかかるし、新しい software を install するのが、結構面倒ですし、また、結構 expensive です。
 XPERIA を使い始めた頃は、「数独」とか、「将棋」など、free application で、人並みに game を楽しんでいました。
 が、だんだんと、現在の google play store、当時は、確か Android store で、いろいろな free application を見つけ、何しろ free ですから、なんでも install して試し始めました。
 Twitter, Dropbox, Evernote, Google Reader などの cloud computing は、PC とも synchronize するので、PC で download したものも、XPERIA で、外出先でも、ベッドの中でも、どこでも読むことができるようになりました。
 NY Times など、世界の新聞、雑誌も apps を install すれが、どこでも読めるし、NBC, CBS, BBC, CNN などの、video podcast も bed の中で見ることができるようになりました。
XPERIA では、画面が小さくて見にくかったのが、Nexus 7 では、画面が大きくなって、見やすくなりました。
  昨日紹介した "iPhone contract" のような blog や、新聞の長い記事などは、とりあえず、Pocket とか、Instapaper という、"Read it Later" apps に入れて、それこそ後から読んで、これは、残しておきたいな、と思ったら、Evernote に送って、カテゴリーごとに整理して保存できるようになりました。
  ここで、大発見がありました。画面の小さい smartphone や、画面は大きいけれど、片手に持つには、日本人には大きすぎて重い Nexus 7 では、長い文章を読むのは、疲れます。
  そこで、PC, smartphone, tablet のどれにも、send to Kindle と、push to Kindle という apps を入れておくと、one click/tap で、その長い文章が、Kindle に Wi-Fi で、wirelessly で instantly に送れるのです。
 こういうことをするようになってから、それまでに比べると、紙の本や、新聞、雑誌を読むことが大幅に減り、日本語よりも英語の blog, newspaper, magazine を読むことが、反比例して、大幅に増えました。
 それも、news 源から、印刷されて配布されるまでに、時差のあるのと違って、instant な information が入ってくるわけです。英語で読めば、英語国だけでなく、global な news/information が、毎日一日中入ってくる事態になったのです。
  これは、それまでの、70年以上の人生で、初めての経験でした。
  そういうことをしていると、その時、その場で起こっていることが、どこか遠くに離れた、異国・他国の土地で起こっていることとは、感覚的に思えなくなるのです。これ、感じてみないと、わからないでしょうが。
 MacLuhan が、media は、「感覚比率」sense ratios を変える、と言ったのは、こういうこともふくんでいるのだな、と実感したのです。
 更に言えば、「人はメディアを作るが、人はまたメディアによって作られる」も実感です。
 特に、そう感じるのは、「有名」でない人の英語で書かれた blog を読むときです。
 最初にそれを感じたのは、去年の5月ごろ、my blog でも紹介しましたが、Scottland の片田舎の小学校4年生の少女の blog が、まだ、世界中の話題になる前でした。彼女の、日常の普通の学校生活の school lunch の話が、彼女が直接話しかけてくる感じなのです。
画像

  だから、彼女が school lunch を写真にとることを、当地の教育委員会が禁止したと彼女がブログに書いて、世界中から講義のメールが教育委員会に殺到した時、私もいの一番に抗議のメールを送りました。他人事とは思えなかったのです。
 と書いて、「反省」(reflect という意味で)したのですが、これを読んだとき、彼女の blog に限らず、この前の Hofmann さんの場合もそうですが、それが「英語で」書かれていることを、全然意識したないのです。彼女らが、直接話しかけてくれている感じなのです。
 で、もうちょっと「反省」してみたら、学校英語で、英文をいちいち日本語に訳す習慣が身についていると、こういう感じにはならないでしょうね。
 そういう「感覚比率」sense ratio になると、Neverseconds の Veg さんや Hofmann さんたちが、どこの国の人なのか、考えもしなくなります。変な感覚でしょうか。そうなってみないと、わからないでしょうが。
  Smartphone や tablet で、日常的に、「有名」でない人が、彼女・彼らの日常について blog したらり tweet したりするのを読んでいると、この前に紹介したような「普通の人の普通の生活」を描いた TV 番組で、ただ眺めていたような人たちが、今度は、こちらに向って話しかけてくれているような感覚になるのです。
  気が向けば、「返信」reply したり、comment を、その場で送ることもできます。私は、まだ、そこまで行っていませんが、要するに近所の人のような感覚になるのではないかな、と思っています。
こうなると、人は「グローバル・パーソン」になる、と言いたいのですが、これだけでは、まだ、十分説明仕切れてないので、まだ、明日からの続きがあります。
 となると、です。
 Hofmann さんと息子の Gregory 君のやり取りを、「米国から考える」とか、「日本にはいない」「日本の親たち」とコメントするような「感覚」にはなれないのです。
 ちょっと、ややこしい話でしたね。書き始めたら、なんとなくこんな調子になってしまいました。Blog って、こういうものです。
 これは、頭で考えてもわからない話で、実際経験して、「感覚」的にわからないと、わからないかもしれません。というわからない話になったようです。たまにはいいでしょう。

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この記事へのコメント

asagiri
2013年01月26日 00:05
このブログを見るようになって、私の生き方というか世界の見方が感化され変化しているように思えます。さらに今回の連載で「グローバル・パーソン」になりたいと強く思うようになりました。しかし、まだまだ分からないことも多いというのが正直なところです。本当に分かっているレベルではないと思います。早く実感できるところまでいきたいです。
SF
2013年01月26日 17:02
そうなんですか。そういわれると責任感じてしまいますね。
どうぞ、遠慮ないコメントをください。
わからないことやわかりにくいことがあったら、どんどん質問してください。
私にもわからないことを書いていることもあるのです。
書いているうちにわかるかな、と思って。
asagiri
2013年01月26日 20:38
お返事ありがとうございます。早速、質問があります。過去のブログを遡っているのですが、「忘れさせない語彙指導」というテーマの記事にある GHN Series や2011年8月6日の「人間はシンボルを操る―環境に適応するために」にある「10,000語を目指」し、習得するための learning curriculum は私のような個人で英語を学習している者にも使わせて頂けるのでしょうか。Udacity の理念のように私にもこうした curriculum に触れる機会があれば幸いだなと思い質問致しました。差し支えなければ教えていただきたいです。
SF
2013年01月26日 21:21
そういうことでしたら、ご協力しますが、ブログ上では、できないので、
お差し支えなければ、下記までメールください。
s.fujikake@gmail.com
お待ちしています。

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