両手 texting で、「考える」ことを書き表す。

昨日は、左手がやや暴走しました。
 実際に書く予定だったのは、いつも言っていることなので、つい書きそびれたことです。
 つまり、
 
Authority でなくても、普通の人が、「考えた」 ことを、口にするだけでなく。書き表して publish できる時代になった、
 ということです。
 ブログで、ネット上に publish する時代
 が来た、 
 ということです。
 何度も繰り返し書いていることです、 
 が、まだ書いてないことがあります。 
 今日は、それを。
 昨日、日本の学校教育では、「本読め」 ばかり言って、「本書け」 と言わない、
 と、文句をつけました。
 「作文教育」 とか、「読書感想文」 とか 「生活綴り方」 など、「本」 とまでは行かないが、「書く」 教育はちゃんとしているではないか、
 と、切り返されるでしょう。
 昨日 authority を気取る?author には、novelist, playwright, poet など、いわゆる 「作家」 は、含まれないと指摘し、そのことについてもっと詳しく書いた、先の entry も紹介しておきました。
 ちょっと、ごろ合わせみたいですが、従来の学校教育の 「作文」 は、「作家」 的な文章の訓練でした。
 「読書感想文」 は、そういうものですし、「生活綴り方」 は、「私小説」 のようなものです。
 私は、小学校の時、「作文」 の課題で、物語を 「作って」 褒められたことがあります。小説家になれるかな、と思ったものです。
 中学生や高校生のグループが作る文集や同人誌は、文芸的な 「作文」 が主です。
 いってみれば、ああいう 「作文」 は、「考えた」 ことを書くのでなく、「思った」 ことを書いたものが主です。
 そういえば、国語の先生は、「思った通りに書け」 とよく言ってませんでした?
 「考えた」 通りに書け、と言われた覚えがないな。みなさんどうですか?

 そういう状況だから、木下是雄先生が 「考えた」 ことを書くための 『理科系の作文技術』 を出され、今でもよく読まれているのです。
 つまり、authority が独占している、「考えた」 ことについて 「書く」 教育は、なされてない、いわんやブログで 「書く」 などは、という現状です。
 木下先生のことは、以前の entries に詳しく書いてあります。
 「言語技術」、Language Arts の教科書は、あるの?
子供に、何を読ませるべきか?絵本、物語、小説、それとも?

  そこで、この現状をどうしようか、思案してところです。一緒に思案してもらえるとありがたいですが。しますか?
  
  思案してくださるなら、次のことを頭においてください。
 従来の 「作文」 は、紙に主として鉛筆で 「書き」 ました。間違えたら、どうしたかは、ご存じでしょう。
 「思う」 ことは、「思い出に浸る」 「思いをかみしめる」「思いにふける」 など、結構ゆっくりしています。だから 「思い」 について 「作文」 するのは、鉛筆なめなめ、なんども書き直したりしていても、間に合います。
 「考える」 ことは、「めまぐるしく考える」「すぐ考える」「とっさに考える」 など、のんびり、ゆっくりすることではないのです。
 「考える間もない」 というのは、「考える」 がいかに短い時間で行うことなのかの裏返しです。
 だから、「考える」 ことは、紙に向かって片手で悠長に 「書いて」 いては、「考え」 に追いつかなくて、書き表すことができないのです。
 そういうなら、authotity たちは、どうやって 「考えた」 ことを書きとめたか?
 Decartes や Pascal は、どうしたのでしょうか?
 その頃は、世の中もゆっくりしていたから、時間をかけて 「熟考」 してたでしょうか。
 とまあ、わからないことは、さておいて。
 20世紀も中ごろになると欧米では、typewriter が普及し始めました。学者など金のある author は、これを使って、両手で typewrite し始めました。もっとも片手のひとさし指だけで、猛烈早く type するのを、古い映画で見ることがあります。
 また、自分で typewrite せず、secretary をやとって、口述 typewrite させる author もいました。
 こうすれば、「書く」 ことが、結構 「考える」 speed に追いつくことができます。
 しかし、こういうことは、金のない人や、生徒たちにはできないので、authorship は、一部特権階級に独占されていたのです。
 では、typewriter のなかった、あっても和文タイプしかなかった、日本の author は、どうしてたでしょう。
 かくいう私も、その端くれでしたが。
 思い起こせば、やっぱり原稿用紙に片手で鉛筆で書いてました。あれは、やっぱりもどかしかったですね。
 だから、Canon から、ローマ字入力の Canoword の一号機が出た時に、100万円もしたものを リースで買ってしまいました。
 それからは、両手打ちで、「考える」 ことを 「考えながら」 typewrite できるようになりました。
 しかし、学校では、今でも、生徒一人ずつに、keyboard のついた laptop PC などの文字入力 device を持たせる状態になっていないので、相変わらず、紙の 「作文」 のままです。

 ちょっと余談です。
 私の知る範囲の英語の文章のことですが、学術書で、講演や大学の講義がそのまま印刷出版されることがよくあります。
 つまり、話したことが、そのまま文字になっているのいます。
 いっぽう、日本語の講演や講義をそのまま文字にしたら、読めたものではありません。口語と文語とは別物になっています。
 この違いは、どこからくるか、というと、
 昔むかしはともかく、英文の場合は、typewriter を使えば、「考えた」 ことを文字にするのに、口にするのとほぼ同じ speed で書き表わせるのに対し、
 日本語の文章は、紙にゆっくりゆっくり書いているので、口にするのとは、まったく違ったものになる、
 と説明できます。どこかにも書いてあったような気もしますが。

 先日も紹介した
 Writing: the big bang of learning technology
donaldclarkplanb.blogspot.jp/2012/09/writing-big-bang-of-learning-technology.html
 と題する blog entry で、Donald Klark さんが、その時引用した箇所で、
 writing quickly with both hands and thumbs only, is another acquired skill.
 と書いています。
 先走りますが、このことは、Clark さんが学校では、smartphone/tablet でなく、Chromebook のような hard keyboard 付き device を使え、と主張していることと関係があります。このことは、明日か明後日に紹介します。なるほど、と思う話です。

 いづれ消え去る老兵は、ともかく、young people は、
 writing quickly with both hands and thumbs only
 という skill を acquire しています。Japanese young people もです。
 この skill をもってすれば、「考える」 ことを、「考える」 speed で、話すように、write するのでなく、compose するのでなく、txting できます。
 というと、めでたし、めでたし、となるでしょうが、それを日本語だけでなく、英語でするようにしなけらば、
 というのが、この話の続きです。

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