兼好法師や鴨長明がブログを書いたら。

 今日から、数回にわたって、ブログを書くことが、特にシニアが、ブログを書くことが、社会貢献になり、シチズンとしての役割を果たすことができるか、という話です。
 年金をもらっているなら、少しは、それに見合う仕事をしてみたらどうか、という話でもあります。
名もない自分が、ブログを書いたところで、読む人もいないだろうし、世の中、なんにも変わらないだろうと、思う人も多いでしょう。
 それに対しては、まず、先の post
「名も無い人」など、無い。人はみな「有名」。
「名もない人」は、いない。ツイターすれば、ね。
を、すでに読んだ人は、もう一度、まだの人は、是非一度読んでください。

 「名もない人」 が書いても、という時に、私がいつも思い浮かべる、あるオペラの場面があります。
それは、ロシアのムソルグスキーのオペラ 《ボリス・ゴドゥノフ》の、原典版では、第2部第1場、改訂版では、プロローグに続く、第1幕第1場の 「モスクワクレムリンチュードフ修道院の僧坊」 において、この修道院の 「名もない僧」 ピーメンが、密かに 「年代記」 を書いている場面です。
次のように歌い始めます。

もう1つ物語を書き上げれば
私の年代記は完成する。
罪深い私に神が授けた
仕事がこれで成就する

(書き始める)
(再び手を休めて)
主が、この私を長い歳月の
承認にされたのは理由があった。
いつしか、勤勉な修道僧が
私が心血を注いだこの名もない
仕事
を見いだすことだろう。


 この続きは、このサイトにあります。

 ここで、ピーメンが、年代記に密かに書いているのは、前の場面でロシア皇帝に戴冠したボリス・ゴドゥノフの、前の皇帝の王子を暗殺したという秘密です。
 ピーメンは、いつの日か、誰かがこの年代記の記述を見つけて真相を知るだろうと、いつの日のことがわからないが、これを記しておくのが、神が自分に授けた仕事だ、と言っているのです。
 
 なぜ、私がこの場面をよく思い出すか、というと、
読む人も少ないブログでも、書いておけば、ブログは cloud の彼方に保存されているから、いつかは、読む人が出てきて、あるいは増えてきて、こんないいことを書いている人がいるか、と感心する人がでてくるのではないか、と思うからです。
 だから、みなさんもピーメンに習って、いつか読まれる日が来ることを信じて、書きたいことがあったら、この世に生きた証として、書き残しておいたらどうでしょうか、と言いたいのです。
 
 このピーメン、兼好法師や鴨長明と共通点があるような気がします。
世を隠れて住みながら、この世に言い残しておくことを、書き留めておく、ということです。
 ちょっと、話が飛び過ぎていますか?
 
 でもね。これ私の正直な気持で、なぜか、ブログを書いている時に、ピーメン、兼好法師、鴨長明を思うのですね。
 自分が、この世に言い残しておきたいことを書くのですから、ちゃんと本名を名乗っておかなければなりません。写真が必要ならば、ちゃんと自分の顔写真を載せておくべきです。
 彼らの時代には、言い残しておきたいことは、紙に書いて、基本的に一部しか残しておくことができませんでした。

 徒然草や方丈記は後世の人が、出版してくれたもので、彼らが出版したものではありません。
 ブログは、ネット上にすぐ publish できます。まとめ書きをしなくても、書いた分だけ、毎日でも publish できます。
 このネット時代、名も知られていない、多くのピーメンや兼好法師や鴨長明が、それぞれが、日々思うことを、それぞれの徒然草や方丈記に書き残すと、どうなる、と思いますか。
 その気になれば、お金を書けずにできるわけです。出版社に出してもらわなくても。
 そういうことが、はたして社会貢献なのか。シチズンとしての義務を果たすことなのか。
難しい話になってきました。
 とりあえず、今日はこの辺で。

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