本当の「市民ジャーナリズム」とは。誰もがスマホを持ち歩く時代に。

 東北大震災の時、押し寄せる津波の凄まじさを TV news で見ましたね。
あれは、TV 報道記者が、TVカメラで捉えたものでもなく、新聞記者が目撃して自分の video camera で撮ったものでもなかったですね。
 高台に避難した人が、持っていた小型の video camera で撮ったものでした。 そして、それをどうやって下か知りませんが、すぐネットに upload したのではなかったですか。 このあたりの事情知っている人教えていただけるとありがたい。
 もし、その人が video camera を持っていなかったら、どうなったでしょう。
一昔前までは、video camera を持っている人は限られていました。 今では、smartphone で video 撮影ができます。
 「事件」 (本来の意味で) だ、と思ったら、すぐと smartphone を取り出して撮影し、その場ですぐ upload できます。
 
 そういうことができなかった時代では、津波が襲って来たという news は、津波が去った後に、新聞・テレビの記者が駆けつけ、よくある情景ですが、残った家に残されている高波の後を指さして、ここまで波が来た、という映像を流し、津波を経験した人から話を聞く、という構図でした。
 3.11の場合でしたら、全部流された荒涼たる情景を写すだけです。 津波の凄まじさは、目に見えて伝わりません。
 
 昨日から繰り返し指摘していますが、今までのニュースは、良きにつけ悪しきにつけ、そこに居合わせてない 「事件」 記者が、「事件」 後に、それこそ、現場に 「駆けつけ」、現場にいた人から 「取材」 して、でっち上げた?ものでした。
 
 3.11のような災害は、あってほしくないですが、 Huffing Post の ”Good News" の多くは、その 「事件」 の現場にたまたま居合わせた人が、いつでも持っている、多分 smartphone の video camera や still camera で撮ったものを、その場で upload したものです。
 
 私が印象に残っているのに、こんなのがあります。
 老婦人が、交通量の激しい道路を横切ろうとして、道の真中に立ち往生している。 通り過ぎる車は、老婦人を避けて、疾走していくだけ。 そこへ、ある一台の車が、道の真中に停車し、hazard lamp をつけて、一人の男性がその車を降りて、老婦人に近づき、その手を取って、行き過ぎる車を避けながら、老婦人を安全に歩道まで導くと、自分の車に帰って走り去った。 その間、たった、一分と40秒くらいでした。 この ”Good News" のアクセス数は、100万を超えています。 タイトルが、スラブ文字でしたので、今探しても見つかりませんでした。
 また、見つかったら、紹介します。
 
 やっぱり、車の関係です。 カナダのある都市の交通量の激しい交差点の信号が故障しました。 混乱が始まりかけたところ、一人の青年が、車から降りてきて、交差点の真ん中に進み、交通警官のような、見事な手さばきで、交通をさばきました。 交差点にさしかかった車は、青年の手信号に従って秩序よく停止・進行し、交通はスムーズに進みました。 やがて、パトカーが到着すると、青年は何事もなかったかのように、自分の車に乗って、その場を立ち去りました。

 3歳くらいの少女が、デパートの中で、エスカレーターを見下ろす、通路に立って、エスカレータで、降りていく人たちに手を振っています。 それに気がついた人たちは、みんなにっこりとして、その少女に手を振り返しています。 少女がどれくらいそこに立っていたかは、わかりませんが、"Good News" の video は、5分くらいです。
 この video のアクセス数は、4,000くらいでした。 コメントの中に、何度も見てしまった、というのがありました。

 どうです。 私は、video で現場を見て My heart was warmed. ですが、私が 「記者」 となって!、文章で伝えたこれらの news を読んで、Was your heart warmed?
 大体どういう状況か、少女がどういう表情をしていたか、手を振り返す人々の happy faces がどんなものだった、あるいは、先の2例の場合は、交通状況がどんなものだったか、以下に危険な状況を犯した勇敢なこうどうだったか、目に浮かばないでしょう。
 
 今までの、そして今でも多くのニュースは、私が記事にした!のと同じことをしているだけです。
警察や役所の記者クラブに詰めていて、じっとしている 「事件記者」 が、「事件」 の現場に居合わせて、それを撮影して news にすることは、まずないのです。
 記者の修行は、文章の書き方の修行が主です。
「事件」 は、目に見える形だ起こります。 それを、「事件」 の後に、さも見てきたかのように、文章にしたところで、Seeing is believing. には、かないません。
 「市民ジャーナリズム」 と気取らなくても、誰でもが smartphone を持ち歩く時代には、誰もが、「記者」 になれるのです。 それも、特別の訓練もなしに。
 「事件」 とは、何か。 人間が犬に噛み付いた。 そんなことマスコミがかってに決めたことです。 人々は、ネアンデルタール時代のように、自分で 「事件」 と思うことを、今度は、ちゃんと video camera を持っているので、ネアンデルタール人のように、口伝えで周りの人だけに伝えるのでなく、インターネットで世界中に知らせることができる。 
 これが、本当の意味の 「市民ジャーナリズム」 だ、と私は思うのですが。 What do you think?
 
 そのための環境整備はどうしたらよいか。 現在のようなマスコミや新聞・雑誌記者は要るのか、要らないのか、まだまだ考えなければならないことが、盛沢山ありますねぇ。 そろそろ面倒臭くなって来ました。 私だけに考えさせないで、みなさんも考えてくれませんか。
 とりあえず、今日はここまでにして、明日は明日の風が吹く。

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