「情報」は、使われて初めて「知識」となる。だから?

 今日は、「知識」 「情報」 の違いについての SF 流解釈の話です。
難しい話は、それぞれの Wiki 日本語版と、knowledge, information の Wiki 英語版に書いてあります。
 
 その Wiki 日本語版によると、
日本語の「情報」は1876年に出版された 『佛國歩兵陣中要務實地演習軌典』 において、仏語 renseignement (案内、情報)の訳語として 「敵情を報知する」 意味で用いられたのが最初である。
 この意味の 「情報」 は、英語では、intelligence です。
 
 現在では、「情報」 は、もっぱら、英語の information の訳語として使われていますが、
informationの訳語として 「情報」 が使われたのは20世紀半ば以後である。
もともと漢語にあったものでなく、日本での造語です。 (間違っていたら指摘してください。)
 まだ、最近のことです。
 
 「情報」 を訓読すると、「情」 を 「報せる」 となります。
では、「情」 とは、なにか、というと、
 日本語での 「情」 の漢音での使われ方として、日常馴染みの多いのは、
愛情、人情、感情、心情、情愛、情交、情緒、情感、情熱、情欲、情痴、情婦、情夫、情を通ず、
などが、直ぐ思い浮かびます。 結構いっぱい出てきますね。
 一方、
事情、世情、情景、情状、情勢
 は、最初のカテゴリーの 「情」 とは、意味が違いますね。
「情報」 の 「情」 は、こちらの 「情」 ですね。
 日常、最初のカテゴリーの 「情」 に馴染んでいると、
なぜ、information が、「情報」 か、
と思うのは、私だけかな。
 
 「情」 の語義を、『字源』 で調べると、
一番の元は、
「心の物に感じて動くはたらき」
 ですから、日本で日常使われている 「情」 です。
 そして、そこから、どういう経過をたどったか分かりませんが、
「ありさま」 (状態)
 という意味になったようです。
心の状態を、世の中の状態に当てはめたのでしょうか。

 だから、「情報」 という単語に接するときは、最初のカテゴリーの 「情」 を捨てて、夏目漱石のいう 「非人情」 の立場をとらなければなりません。 このあたりは、SF 流解釈です。 深く突っ込まないでください。

 英語の information は、語源のもともとは、in + form
form (形) に in (入れる)
ということです。
 心に浮かんだことや考えたこと、見たり聞いたりしたことを、ことばや画像、映像で、目に見える形にすることです。
 そういう形になったものが、 information です。
形になれば、他の人に手渡すことができます。 ことばという形にして、手渡せば 「伝える」 ということになります。
  
 それでは、「知識」 とは何か、
こちらは、もともと漢語にあったものが、日本語の中に入ってきたものです。 それを、英語の knowledge の訳語に当てたのです。
 knowledge を 「知識」 などと、漢語を使って訳すと、難しいものに感じられます。
knowledge は、 know の名詞形で、平たく言えば、「知っていること」 です。
know の語源の意味は何か、といえば、やっぱり、「知る」 ということです。
「知る」 というのは、人間が、そして、すべての生物が、生まれつき持っている、生きるための知恵ですから、
これ以上は、さかのぼりようがない concept です。
   
 漢字の 「知る」 を分解すると、英語ではわからなかった、「知る」 の意味が見えてきます。
「知る」 は、「矢」 と 「口」 からできています。
 「知る」 とは、口から矢のように、ことばとして出てくる状態、
と、いう説明を何処かで読んだ覚えがあります。
 そうとすれば、「知識」 とは、「口から矢のように出てくる、ことばで表される内容」 とでも、言えるでしょうか。
逆に 「知らないこと」 は、口から出て来ませんね。
 
 それじゃ、「知識」 と 「情報」、英語の knowledge と information は、どう違うか、ということです。
 
 この違いについて、私が規範にしているのは、Peter Drucker が、The Age of Discontinuity (日本語訳 『断絶の時代』、ついでながら、この訳は誤訳で 『不連続の時代』 と訳すべきです)で、述べていることです。
当時は、訳本で読んだので、日本語で紹介すると、
情報は、何かを行うことのために使われて初めて知識となる。
このサイトに訳文の原文があります。

 Drucker のことことばは有名で、
"ドラッガー 情報は使われて初めて知識となる"
で、google すると、日本でもいろいろな人が引用しています。 ここをクリックしてください。

 ここで、話がややこしくなるのは、 Wiki によると、 
Conceptually, information is the message (utterance or expression) being conveyed. Therefore, in a general sense, information is "Knowledge communicated or received concerning a particular fact or circumstance", or rather, information is an answer to a question.
 赤文字の部分です。
つまり、knowledge も in-form して、information になる、ということです。
というと、knowledge は、information の中身になってしまいます。
これでは、区別がつかない、ということになります。

 しかし、よく考えれば、別に矛盾はないですね。
information を伝える人にとっては、すでに持っている knowledge を伝えるわけで、
伝えられた方は、そのままでは、その人の knowledge になるのでなく、
自分で使って、初めて、自分の knowledge になる、
ということでしょう。 自分の knowledge にすれば、それをまた、information にして、他に伝えることができる、
そう考えれば矛盾ではないですね。

 大事なことは、information は、手に入れたら、それを使って、何か仕事をし、自分の知識にしなければならない、ということです。
 この Drucker のことばは、先の entries でも紹介した、私の最初の著書 『英語教育の変革』、その改訂版 『変革の英語教育 80's』 で引用し、
そこから、英語教育は、行動するための 「陽明学」 でならなければならない、
などと、SF 流の開眼につながっていくのです。
このこと、今日はこれ以上立ち入りません。

今日の趣旨は、私の中では、「知識」 と 「情報」 は、このように Drucker 流に峻別されていて、
英語を使って、smartphone/tablet で、「知識」 「情報」 を手に入れるということは、
得た情報を、直ぐにでも使って 「知識」 にする努力をしている、
ということを、言いたかったのです。
知識となると、「知っている」 ことですから、「口から矢のように」 ことばとして、出てきます。
だから、こうして ブログで texting できるわけです。 compose しているのではないのです。
比喩的な言い方ですが、鉛筆舐め舐め、原稿用紙を埋めているのではないのです。
両手の指が、keyboard 上を滑らかに動いて、口から矢のように出てくることばを、実際の音には出しませんが、texting しているのです。

今の時代に小学生や中学生に、こういうふうに英語を使えるようにしてやりたい、
というのが、私の願いなのですが、What do you think?
いつも言ってますが、そういうことを考える首長さん、どこかにいませんかね。
私が、黒田官兵衛となって、采配ふるってあげますよ。

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