アナログ人間とデジタル人間。違いは。
昨日のエントリーの最後に、
「そして、そういうテクノロジーを使えない人は、人類の進化に遅れているアナクロ人間だ、
と改めて、非難しているわけではないですが、可哀想と思う必要もないけど、助けてあげたい気になる人だなあ、と思う次第です。 特に、かっての自分の学生だった人には、アフター・サーヴィスとして。 余計なおせっかいですね。」
と書いたら、”脱アナログ希望の卒業生” から、
「先生、最後の下り (私注 "くだり” or "行”)、最高です! アフター・サーヴィスぜひ受けさせてください。^^」
というコメントが寄せられました。
他にもそういう卒業生がいるかどうかわかりませんが、一人でもいれば、それに応えるのが、かって教師をしていたものの duty かな、と思うので、少しくらいは役に立つかもしれないことを、多分2,3回にわたって書き連ねます。 卒業生でなくても、「脱アナログ」 を目指す高齢者にも役立ったら、と思いながら。
今まで、何も定義せずに、「アナログ人間」 ということばを使って来ました。
自分で、「アナログ人間」 を自認・自称している人は、自分をどういう人間と思っていますか。 ちょっと胸に手をあて考えてみてください。
「アナログ人間」 に対する人種?なら、「デジタル人間」 でしょうか。
私の感ずるところでは、自分で 「デジタル人間」 と名乗る人は少ないようです。 Am I right?
かく言う私は、「アナログ人間」 ではないですが、だからといって、「デジタル人間」 を名乗ったことはありません。 「脱アナログ」 をしている人たちの中にも、あえてというか、わざわざ、自分は 「デジタル人間」 と広言?している人はいないですね。
なぜか、といえば、「脱アナログ」 している人には、「デジタル化」 は、当たり前のことで、わざわざ 「デジタル」 だ、「デジタル化」 だ、というまでないからでしょう。 Am I right?
日本に生まれて、日本で生活していて、日本の空気を吸って、日本語で生活していれば、わざわざ 「日本人」 を名乗ることはない、と同じ事です。 つまり、物事すべてデジタル化が進み、意識するにせよしないにせよデジタルの空気を吸って、デジタル生活を送っていれば、わざわざ 「デジタル人間」 を名乗ることないのです。
世の中、いろいろなことがデジタル化しても、過去からのアナログ生活も、残っていますし、今後も残ります。 それだけでも、生きては行けます。 だけど、デジタル化が進んで、過去のアナログのものがなくなると、アナログ生活が不便、時にはできなくなります。
具体的な例をいえば、TV 放送は、地上波のデジタル化によってアナログTV はなくなりました。 昔のアナログTV 受信機では、テレビが見られなくなりました。
カメラは、デジタルカメラを最初は軽蔑していたプロの photographer も、今や film camera を使う人は稀になりました。 いわんや、素人で、アナログの film camera を使う人は、ほとんどいなくなりました。
Photography が、デジタル化されたので、smartphone/tablet に、組み込まれ、camera 自体が要らなくなる事態にもなっています。
というわけで、なんだかんだと言いながら、「アナログ人間」 を自認・自称する人も、世間の荒波?にもまれて、結構デジタルの洗礼を受けているのです。
「脱アナログ」 とか、「アナログ人間」 「デジタル人間」 と言っているのは、このところ、smartphone/tablet が普及して、「デジタル化」 が、突然変異ともいうべき、異次元の世界に、それも、2,3年の間に急激に progress でなく、evolve (進歩でなく進化) してきた 通称 IT/ITC の世界のことのようです。 こういうのを、disruptive evolution と言います。
そこで、一体、「アナログ人間」 とか、「デジタル人間」 とは、どういう人種?か調べてみました。
「調べてみました」 と言いますが、
これが、「アナログ人間」 なら、百科事典を調べようとするでしょう。 百科事典のある家は、そんなにないので、図書館へ行って調べようとするでしょう。 すぐ行くわけには行かないので、そのうちに、と思っているうちに、言ってみれば、どうでもいいことですから、行きぞこなって、結局図書館へは行かず、調べることもなく、「アナログ人間」 とは何ぞや、と知ることもなく終わるのが、「アナログ人間」 です。 Am I right?
「デジタル人間」 は、すぐと PC に向かって google します。
しかし、PC に向かうのは、「原始デジタル人間」 です。
進化した 「デジタル人間」 は、手元の smartphone/tablet を手にとって、google します。
それも、"デジタル人間” と検索窓に、指を使って soft keyboard に type するのでなく、
検索窓の左隅にある、microphone icon を tap して、”でじたるにんげん” と言います。 そうしたら、こんな結果がで出来ました。 Hits 数は、18,600,000
”デジタル人間” を google したのに、”アナログ人間” と並んで出ています。 では、”アナログ人間” はどうか、というと、こちらは、もっぱら "アナログ” だけです。Hits 数は、926,000 デジタルの半分です。 やっぱり、アナログは衰退に向かっていることの現れでしょうか。
”デジタル人間” のところに出てきたあるブログ記事では、
世の中には二種類のタイプの人間がいます。1つはデジタル人間と、もう1つはこれからデジタル人間になる人です。
という区別がしてありました。
要するに、人類の、不可逆的な進化は、「アナログ人間」 は、ネアンデルタールになる、
ということらしい。
これらのサイトをみてみると、世の中、結構盛んに 「アナログ人間」 「デジタル人間」 と騒いでいますね。
そして、それぞれの人が、それぞれに、うんちくを傾けて、人種の違い?を論じています。
全部読むと、混乱します。 そこで、SF 流見解をまとめてみたい、と思いますが、その前に、
ここと、ここを click/tap すると、上記 google の結果がでているので、適当にいくつかのサイトを開いて、両者の違いを自分なりに調査?してみてください。
そして、明日以降紹介するのSF 流 「脱アナログ人間」 と比べてみると、いいでしょう。
「そして、そういうテクノロジーを使えない人は、人類の進化に遅れているアナクロ人間だ、
と改めて、非難しているわけではないですが、可哀想と思う必要もないけど、助けてあげたい気になる人だなあ、と思う次第です。 特に、かっての自分の学生だった人には、アフター・サーヴィスとして。 余計なおせっかいですね。」
と書いたら、”脱アナログ希望の卒業生” から、
「先生、最後の下り (私注 "くだり” or "行”)、最高です! アフター・サーヴィスぜひ受けさせてください。^^」
というコメントが寄せられました。
他にもそういう卒業生がいるかどうかわかりませんが、一人でもいれば、それに応えるのが、かって教師をしていたものの duty かな、と思うので、少しくらいは役に立つかもしれないことを、多分2,3回にわたって書き連ねます。 卒業生でなくても、「脱アナログ」 を目指す高齢者にも役立ったら、と思いながら。
今まで、何も定義せずに、「アナログ人間」 ということばを使って来ました。
自分で、「アナログ人間」 を自認・自称している人は、自分をどういう人間と思っていますか。 ちょっと胸に手をあて考えてみてください。
「アナログ人間」 に対する人種?なら、「デジタル人間」 でしょうか。
私の感ずるところでは、自分で 「デジタル人間」 と名乗る人は少ないようです。 Am I right?
かく言う私は、「アナログ人間」 ではないですが、だからといって、「デジタル人間」 を名乗ったことはありません。 「脱アナログ」 をしている人たちの中にも、あえてというか、わざわざ、自分は 「デジタル人間」 と広言?している人はいないですね。
なぜか、といえば、「脱アナログ」 している人には、「デジタル化」 は、当たり前のことで、わざわざ 「デジタル」 だ、「デジタル化」 だ、というまでないからでしょう。 Am I right?
日本に生まれて、日本で生活していて、日本の空気を吸って、日本語で生活していれば、わざわざ 「日本人」 を名乗ることはない、と同じ事です。 つまり、物事すべてデジタル化が進み、意識するにせよしないにせよデジタルの空気を吸って、デジタル生活を送っていれば、わざわざ 「デジタル人間」 を名乗ることないのです。
世の中、いろいろなことがデジタル化しても、過去からのアナログ生活も、残っていますし、今後も残ります。 それだけでも、生きては行けます。 だけど、デジタル化が進んで、過去のアナログのものがなくなると、アナログ生活が不便、時にはできなくなります。
具体的な例をいえば、TV 放送は、地上波のデジタル化によってアナログTV はなくなりました。 昔のアナログTV 受信機では、テレビが見られなくなりました。
カメラは、デジタルカメラを最初は軽蔑していたプロの photographer も、今や film camera を使う人は稀になりました。 いわんや、素人で、アナログの film camera を使う人は、ほとんどいなくなりました。
Photography が、デジタル化されたので、smartphone/tablet に、組み込まれ、camera 自体が要らなくなる事態にもなっています。
というわけで、なんだかんだと言いながら、「アナログ人間」 を自認・自称する人も、世間の荒波?にもまれて、結構デジタルの洗礼を受けているのです。
「脱アナログ」 とか、「アナログ人間」 「デジタル人間」 と言っているのは、このところ、smartphone/tablet が普及して、「デジタル化」 が、突然変異ともいうべき、異次元の世界に、それも、2,3年の間に急激に progress でなく、evolve (進歩でなく進化) してきた 通称 IT/ITC の世界のことのようです。 こういうのを、disruptive evolution と言います。
そこで、一体、「アナログ人間」 とか、「デジタル人間」 とは、どういう人種?か調べてみました。
「調べてみました」 と言いますが、
これが、「アナログ人間」 なら、百科事典を調べようとするでしょう。 百科事典のある家は、そんなにないので、図書館へ行って調べようとするでしょう。 すぐ行くわけには行かないので、そのうちに、と思っているうちに、言ってみれば、どうでもいいことですから、行きぞこなって、結局図書館へは行かず、調べることもなく、「アナログ人間」 とは何ぞや、と知ることもなく終わるのが、「アナログ人間」 です。 Am I right?
「デジタル人間」 は、すぐと PC に向かって google します。
しかし、PC に向かうのは、「原始デジタル人間」 です。
進化した 「デジタル人間」 は、手元の smartphone/tablet を手にとって、google します。
それも、"デジタル人間” と検索窓に、指を使って soft keyboard に type するのでなく、
検索窓の左隅にある、microphone icon を tap して、”でじたるにんげん” と言います。 そうしたら、こんな結果がで出来ました。 Hits 数は、18,600,000
”デジタル人間” を google したのに、”アナログ人間” と並んで出ています。 では、”アナログ人間” はどうか、というと、こちらは、もっぱら "アナログ” だけです。Hits 数は、926,000 デジタルの半分です。 やっぱり、アナログは衰退に向かっていることの現れでしょうか。
”デジタル人間” のところに出てきたあるブログ記事では、
世の中には二種類のタイプの人間がいます。1つはデジタル人間と、もう1つはこれからデジタル人間になる人です。
という区別がしてありました。
要するに、人類の、不可逆的な進化は、「アナログ人間」 は、ネアンデルタールになる、
ということらしい。
これらのサイトをみてみると、世の中、結構盛んに 「アナログ人間」 「デジタル人間」 と騒いでいますね。
そして、それぞれの人が、それぞれに、うんちくを傾けて、人種の違い?を論じています。
全部読むと、混乱します。 そこで、SF 流見解をまとめてみたい、と思いますが、その前に、
ここと、ここを click/tap すると、上記 google の結果がでているので、適当にいくつかのサイトを開いて、両者の違いを自分なりに調査?してみてください。
そして、明日以降紹介するのSF 流 「脱アナログ人間」 と比べてみると、いいでしょう。
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