こうして教えれば英語ができなくなる方法ーその五。訳読。

 今日のトピックについては、再三指摘したことですし、私だけでなく、言う人は言っていることです。
つい先日も、
Reading 学習の目的は、内容理解でなく、どんな内容の英文も読めるようにすること。そのためには?
と題してとりあげたばかりです。

 もううっとおしいからやめとこうか、と思ったのですが、「英語ができなくなる方法」と一つとして、ここにまとめておいてもいいかな、と思い直して、しぶしぶ取り上げることにしました。

 ここでの「英語ができなくなる方法」は、「できなくなる』中でも「英語が読めなくなる方法」になります。現に、訳読式授業を大学一般英語時代まで8年間受けてきた人たちは、「英語が読めない人」がほとんどです。90%以上になります。こんなことが許されているなんて、なんて不思議な国だと思いませんか。

 大学に入って、高名な英米文学の教授から、一般英語を習うという、受験生時代に思いもがけなかった「幸運」に恵まれました。と思ったのはつかの間、高校時代の英語の授業と変わらない、一人ひとりが当てられて訳すだけの「不運」に転じました。一般英語だけでなく、英語学の大家とされている教授の「英語学講義」では、さぞかし名講義が聞けると思ったら、Curme の Grammar of English Language という赤い本(どうでもいいか)と買わされて、一人ひとり数センテンスを順番に訳すという「講義」でした。
 その大学生時代に不思議に思ったことがあります。受験生時代に受験英語で「英文解釈研究」とかそれに類した参考書を出していた有名大学の、特に英文学の教授が、こぞって各出版社から英米文学の翻訳書を出版しているのに、気が付きました。
 何を不思議に思ったか、というと、そういう先生方の多くは、大学の一般英語の授業を担当しています。
 大学生心に思ったことは、そして期待したことは、大学で英語の授業を受ければ、高校時代の受験英語と違って、英語の本が自由に読める英語力が付く、ということでした。
 大学生全部が、英語の本を自由に読める力がついたら、英語の本を買って読めばよいわけで、わざわざ翻訳本を買う必要はない。
 大学の先生の仕事が、学生に英語の本を読む力をつけることだったら、そして大学生にそういう力が付けば、なんで今更、英語の翻訳を出すのだろう、と不思議に思ったのは私ひとりだったでしょうか。How about you?
もっと不思議だったのは、時にテキストに使われる英文学の作品の翻訳が、すでにその先生によって出版されていることもありました。そうなると、目ざとくそれを見つけた学生は、その翻訳書を買ってきて、当てられらた、その訳を、そのままではまずいから、少し変えて訳す、ということが出来ました。
 高校時代のことです。英文学科出身の英語の先生が、副教材に という短編を採用し、それを生徒に一文ずつ訳させその後に、俺の名訳を聞けといって得々と訳し直していました。
 私が新潮文庫で訳本を見つけ、当てられた時に、その訳を読み上げたら、その英語の先生、自分の訳より名訳を、生徒に言われて、言うことがなくなりました。そして、私が新潮文庫を持っていることを発見すると、不愉快だ、このテキストはもうやめる、と言って、その後どうなったか忘れました。
 このように、大学まで行っても、一般英語でも専門の「講義」でも、「購読」と称して、取り上げた本やテキストの内容を、日本語に訳して、「講釈」「読解」するのが、英語の reading の授業として定着しています。
 英語の reading の学習は、先のエントリーのタイトルにもあるように、「購読」や reading の受業のテキストの内容を理解することではなくて、どんな内容のものでも、英語で書かれたものなら、読んで理解できるようにすることです。
 それにはどうしたらよいか。一つの答えは、先のエントリーにもあります。問題なのは、どうしたらよいか、知らない英語の先生が多すぎることです。知らないだけでなく、そうすべきだという認識もなく、訳読・購読が reading の学習だ、と思い込んでいる英語の先生が多すぎることです。
 What do you think?
 
 ということで、今日のところは、訳読・購読をどれだけしたって英語の本が読めるようにはなりませんよ、事実がそれを証明してますよ、という話でした。
 困ったものです。

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