『英語ものしり帖』「股の巻」<股引は誰の正装?>

欧米で王侯貴族の履く「股引」を日本では誰が履いたか?

ヨーロッパでは、王族・貴族が正装として着用した「股引」が、日本では、上のカルサンの説明にあるように、武士の旅装や大工などの仕事着、あるいは、農民の労働着になった、というのは、面白いですね。
博徒、大工、農民の他に、「股引」を正装?としていた職業があります。銭形平次に代表される岡っ引きです。奉行所の与力は侍身分ですから、羽織袴ですが、その与力に使われる岡っ引きとか目明しと呼ばれる、町人身分は、刀を持てないので、十手だけで捕り物をしました。下の画像を見てください。ついでに商家の手代や女中の画像も含まれています。
画像

一番右の画像には、こんな説明がついています。
「日本の伝統的腹巻・股引は、江戸時代には鯉口シャツとともに職人の一般的な日常着」

そして、「股引」を「正装」?として着用して旅から旅を重ねたので「股旅者」と呼ばれたというのが、面白いですね。What do you think?
架空の話の中の『水戸黄門漫遊記』の格さん・助さんは、武士の身分を隠すために「股旅者」の恰好をしています。

ここで、不思議なのは、あの当時、武士以外の階級は刀を着用することは、禁じられていたはずです。名主などが、苗字帯刀を許すと特別な計らいをされていただけでした。
それが、清水次郎長一家も、国定忠治も、番場の長太郎も、武士身分を隠している助さん・格さんも、みんな刀を持っています。
誰が許可したのでしょうかね。

そこで、気が付くことは、侍のことを、別名「二本差し」と言います。上の画像の助さん・格さんたちは、刀は一本しか差していません。その差しているのは、武士の差している二本の刀の、短い方の「脇差」と呼ばれるものです。

脇差の Wiki があります。そこには、こう書いてあります。
脇差は正規の刀ではなく、あくまで補助的な装備という扱いであった。そのため百姓町人など、非武士身分の者も携帯することが許された。このため博徒の抗争などにも、長脇差と称する打刀が使用された。
http://bit.ly/2qYd76M
国定忠治などの博徒は、長脇差を使っていたのですね。格さんは、脇差は差していても。それを抜かず、もっぱら「拳法」でしたね。

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