教育工学は、学習のためにならない。学習者が道具を駆使する時代には。

 「学習工学」ということばは、まだ耳慣れないでしょうが、「教育工学」ということばなら、耳にしたことは多いでしょう。
 私が、「教育工学」でなくて、「学習工学」を名乗るには、今日紹介するような大きなわけがあります。
 前回「学習工学」は、道具を使う「道具学」だ、と言いました。
 「教育工学」も道具を使います。
 教育のために使うのなら、どこが違うのか、と思うでしょう。
 それが、違うのです。根本的に違うのです。
 と、いうことに気が付いていない人が多いのです。
 どう違うのか、今日の話です。

 「教育工学」の始まりは、少なくても日本では、「視聴覚教育」と言われるものでした。
教える内容を提示するのに、それまでの「黒板」に手書きで書いていたものを、
 初期のスライドは、準備や価格面で手軽でなかったので、もっと手軽に使える OHP(Overhead Projector)が、「視」の部分を担い、安価に手軽に使える cassette tape recorder が出回り始めて「聴」の部分を担い始めた頃に、学校教育に普及しました。
 それが「視聴」を同時に担える PC が普及すると、「視聴覚教育」に代わって
CAI ということばが普及し始めました。Computer Assisted Instruction のことです。
Instruction、要するに、教えるための手段でした。
 Projector が普及すると、PC 画面を大型スクリーンに映して、「教える内容」を提示することができるようになりました。その時に、多用されるのが、PowerPoint です。
 学会の研究発表では、研究内容の発表に PowerPoint が必須のようになっています。
 最近では、電子黒板が出回り始めています。
 
 学校教育が始まって以来、長らく、教える内容の提示に使われていた黒板を使う「板書」に代わって OHP、PC、Projector、電子黒板 に代表される機器が、教える内容を提示する「道具」に使われるようになったのです。
 そうなっても、まだ、今の学校の教室には、黒板、あるいは、白板があり、板書をする先生は後を絶ちません。テレビドラマに出てくる教室の場面は、過去の時代に限らず、現代の教室でも「板書」ばかりですね。

 こういう話をすると、道具を使った提示の方が優れている、と思われるでしょうが、実は、ここに落とし穴があるのです。
 時代は移り変わっても学校教育には、時間割があって、一つの科目を教える時間は、小中高では、45分から50分が標準です。
 もっと続けて教えたくても、鐘かチャイムがなったら、それで終わりです。
 そうなると、教える側としては、限られた時間で、なるべく多くのことを効率よく、手際よく、教えたいと思うのが「人情」でしょう。
 

 学会の研究発表の時間は、20分とか30分、短い場合は、10分以内もあります。そういう短い時間で、なるべく多くの内容を手際よく提示するために生まれたの PowerPoint に代表される Presentation software でした。

 そうなると、どうなったか。
先ずは、学会の研究発表の方の話をします。
 OHP を使って研究発表をする人が増えてきた頃、大量の資料を、次から次へと OHP で提示して口早に発表する人が増えました。ところが、それを聴いている側からすると、かっての板書なら、ゆっくり読んでおれた内容が、読み終わらないうちに、さっと次のシートに移ってしまうことが起こるようになりました。要するにめまぐるしくなって目がまわるようになったのです。
 それが、PowerPoint になって、colorful になり、語句や画像が、Projector の大型画面を、それこそ駆け巡るようになると、目だけでなく、頭まで、つまり、脳までかき回されるような気になる人も出てきました。

 知らない人もいるでしょうが、あの Steve Jobs は、PowerPoint が大嫌いでした。
彼が加わる Apple の会議では、資料の提示や Project の説明に、PowerPoint を使うことは厳禁でした。それは、なにも、PowerPoint が、ライバルの MS の製品である、ということではありませんでした。
 彼は、こういうことばを残しています。
画像

 なぜそうなのか。Steve Jobs の biography を書いた Walter Isaacson の紹介するところでは、
“I hate the way people use slide presentations instead of thinking,” “People would confront a problem by creating a presentation. I wanted them to engage, to hash things out at the table, rather than show a bunch of slides. People who know what they’re talking about don’t need PowerPoint.”

 ここで、Steve Jobs が使っている、
I wanted them to engage,
ということばが重要です。

 PowerPoint に限らず、presenter が、次々から次へと、自分の言いたいことを効率よく提示すればするほど、聞き手は、単なる audience になってしまいます。何か言いたくても、言う暇もないのです。つまり、engage できないのです。

 話は、飛躍しますが、
 Steve Jobs が iPhone を生み出したのは、彼のこの立場と無関係ではないのです。

 この事は、次回、学習工学の場合で、立ち入ります。

 教育工学の手法を使って、上記各種の presentation の道具で、教える内容を、次から次へと効率よく提示するとどうなるか。
 こういう道具は、教える側だけが操作します。生徒の方は、あそこよくわからない、もう一度聞きたいと思っても、思う間もなく、内容は次のことに移っています。
 Steve Jobs のことばを使えば、生徒は、本来は自分のことであり、自分のためであるはずの学習に、自ら engage できないのです。
 教育工学の高性能の道具の故に、です。
 皮肉というか、矛盾というか、おかしな話ではないですか。
 
 教育工学の道具のおかげで、教える側は、限られた時間で、より多くのことをより多く教えることができるのに、
 生徒の持っている道具は、昔ながらの「教科書」と筆記道具だけです。
 そんな primitive な道具では、教育工学の道具に太刀打ちできません。
 
 実は、smartphone という道具を持っていますが、それは学校へもってくることは禁じられています。高校によっては、学校に持ってきてもいいけど、学校に着くと同時にローッカーにしまって鍵をかけられ、学校にいる間使えません。

 教える側が、これでもか、これでもか、とだんだん高性能になる道具を使って、ますます多くのことを、より短い時間で「詰め込んでくる」のに対し、生徒は、手ぶらで手向かわなければなりません。
 結論を急げば、学習内容の消化不良で、学力栄養失調になり、学力不振生徒が激増しました。
 
 どうした良いでしょう。
 答えは、ある意味で分かり切ったことです。
 生徒にも、教科書、筆記道具以外の、教育工学の道具に匹敵する道具を持たせればいいのです。
 そして、それは、すでに生徒が持っていて教師以上に使いこなしているものです。
 Smartphone のことです。
 
道具には、hard tool と soft tool があります。
 Smartphone 自体は hard tool です。
 その application は、soft tool です。
 生徒は、hard tool の smartphone は使いこなしていますが、
 学習の tool となる、各種の soft tool の application については、全く知りません。
なぜなら、誰も、そういう道具のあることも、いわんや使い方も教えてくれないからです。

 「教えた」と言っても、生徒が学ばなかったら、「教えた」ことにはならない、のです。

 大事なことは、学ばせることです。
 「学習工学」は、生徒に、ICT に基づく、各種の hard/soft tool を使って、学習を成立させるのを目的とします。
 その実際が、Evernote 版 SF Modular System で、どのようになっているか、
すでに紹介した分もありますが、次回から順次紹介します。
 
 ということで、今回強調したかったのは、同じ「工学」でも、「教育工学」は、学習を阻害している、とか、PowerPoint は学習のためにならない、という常識に反する話でした。What do you think?

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