デジタル教科書をキンドル本で出版することの是非。考えてみた。あなたも考えてみてください。

 私が、デジタル教科書の出版をキンドル本で、と主張すると、日本の公教育の支柱となるデジタル教科書を、アメリカの一私企業のアマゾンの方式により掛かるのは、問題ではないか、という指摘があるでしょう。(まだないが)
 その意見にブーメランするなら、教科書出版会社の、現在のデジタル教科書の動作環境は、アメリカの一私企業のマイクロソフト社の作った Windows を使わなければ動かないようになっています。デジタル教科書だけでなく、日本の政府機関、あるいは私企業のデジタル環境も、アメリカの一私企業のマイクロソフト社の作った Windows に全面的に依存しています。
 今や、DX 社会に不可欠になった スマートフォンも、アメリカの一私企業のアップルの開発した iPhone が決めてになりました。
 ネット検索の必須ツール google もアメリカの一私企業のグーグル社の作ったものです。
 そもそもDX社会の根幹をなすコンピューター自体、アメリカの一私企業の IBM が開発し、世界中に普及させたものです。
 デジタル教科書、だけでなく、デジタル本のフォーマットが、アメリカの一私企業のアマゾンの作ったものだから、けしからん、というなら、PC も Windows もスマートフォンも google も、そして、Chromebook も全部けしからん、ということになります。
 一歩譲って、キンドル本がけしからん、と言って、今度できるデジタル庁が主導して、デジタル本が出版できるアプリを作ったとして、今度をそれを、キンドル・ダイレクト・パブリッシングのようにただで出版できるようにすることができるか、ということです。そして、今度は、ではただで出版できたとして、その出版物を、Kindle Store のように、日本だけでなく、世界中で買うことができるような流通網を築くことができるか、ということを考えてみてください。
 更に言えば、そうやって出版できたとして、著者の取り分を、キンドルのように、300円以下では 30%、300円以上では70%にするようなことができるか、ということもあります。
 こういう、私に言わせれば、出版の社会インフラストラクチャーを、アメリカの一私企業が築いたのです。
 「出版の自由」が、高らかに憲法で謳われても、「出版の手段」は、資本家の手に握られた状態が、グーテンベルグ時代は続いていました。
 定年退職して、年金生活者になった私が、定年後30冊以上のデジタル本を出版でき、その英語版は、アメリカやドイツの友人にも買ってもらえるようになったのは、ひとえに、キンドル・ダイレクト・パブリッシングのおかげです。
 私だけでなく、その気になれば、アメリカの一私企業アマゾンが無料で提供してくれる「出版の手段」によって、誰でもデジタル本を出版することができる
"After Gutenberg" の時代になっているのです。
 教科書検定が、デジタル教科書でもできるようになったら、出版社でなくても個人でも、デジタル教科書を出版できるようにならないかな、と私は密かに思っているのですがね。デジタル庁に長官になる人は、そういうことは考えないかな。
 
 ということです。それでも、キンドル本はアメリカの一私企業の出版方法だから、公教育の教科書には採用できない、とあなたは言いますか。言うなら、それに変わるインフラストラクチャーを提案するだけでなく、ちゃんと築いて、そして、ここが大事ですが、自分でデジタル本を出版してから、そう言うべきでしょう。そう思いませんか。思わない? そういう人は相手にしないことにしています。Goodbye!

 

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