英語教育に役立たない TG Grammar?
大学の責任追及の続きです。現在この稿の参照数が50近くになっています。どういう人が参照というか、読んでいるのか、コメントが来たのは一人のごくごくよく知っている人だけで、後は、沈黙の不気味な存在です。それはどうでもいいですが、先にも述べているように、このブログの対象としているのは、英語教育関係者ではなく、日本の学校英語教育に関心のある、ある程度知的レヴェルの高い人で、自分の受けてきた英語教育に不満のある人や、子や孫の英語教育に関心のある人です。なるべく専門用語や業界用語は避けていますが、日本の学校英語教育の背景や裏幕を語るのに欠かせない人物や理論などは、必要なだけは、紹介やら引用をしています。専門家から見るとちょっと説明不足ではないか、とか、ちょっと言い過ぎではないか、と思われるところもあるでしょうが、それは承知の上。
で、先を急がねばなりません。
日本の英語学者にとって、英語教育に関知しなくても、それを正当化するありがたい話があった。それは、御大のチョムスキー自身がTG grammar は、英語教育その他の言語教育と関係ないと言っていたからだ。関知するな、とまでは、言ってなかったと思うけど。
それを裏付ける私自身の経験がある。
先に述べたように、私は、1971年9月から1972年9月まで、TG Grammar の西のメッカといわれた Department of
Linguistics, UCSDに文部省在外研究員として滞在していた。UCSD は、UC Berkeley など、一連のUniversity of
California system でも比較的新しく、1960年の創立である。(因みにUC Berkeleyの創立は、ゴールドラッシュ時代の1849年に遡る。)
UCSD 創立に際し、Department of Linguistics に、当時 Harvard 大学の教授で MIT のChomsky とともに TG
Grammar の理論の確立の加わったEdward S. Klima を招聘した。また、MIT でChomsky のもとで、日本語のTG Grammar 理論を確立したYuki Kuroda も加わっていた。従って、そこには全米のみでなく、世界各地から、TG Grammar で学位をとろうとする俊英が集まっていた。かくいう私もその一人と、言いたいところだが、私はそうではなかった。
私がUCSD の Linguistics Department に行ったのは、そこに、Leonard Newmark という教授が、UCSD の外国語教育のユニークな統一カリキュラムの開発・実施していたので、その研究に Newmark 教授に招待されていったのであった。この人はアルバニア系アメリカ人で、Oxford 大学などから、アルバニア語の辞書や学習書を出版している。
行ってみて分かったが、それは次のようなカリキュラムであった。
まず第一に知っておくべきことは、アメリカの大学では、大学院の学生には、生活できるだけの給料を出さなければならない。そうでないと、優秀な大学院生が集まらない。そのために、大学院生を teaching assistant や research assistant として雇うわけである。その雇う金は、大学から支給されるわけでなく、教授なり、department が、外部から研究費や寄付金を調達して集めなければならない。この Newmark という人は、商才があったらしい。UCSD の外国語の授業を全部 Linguistics Department で引き受けて、大学当局からその運営費をもらい、それで、大学院生を teaching assistant に雇って、彼らにフランス語、ドイツ語、スペイン語などを教えさせたのである。そして賢いのは、そのカリキュラムを二本立てにし、一つは、それぞれの外国語を母語とする大学院生に、それぞれの言葉で会話主体のカリキュラムで教えさせ、アメリカ人や例えば日本人の大学院生たちには、作成したテキストに従って、そそれぞれの外国語の文法について、英語で教えさせたのである。そして、その運営は、全部大学院生にまかせて、Newmark 以外の教授は、ノータッチであった。
そこで、肝心なことであるが、Native speaker が教える会話中心の授業は、TG Grammar とは、何のかかわりもないし、また、もう一方の各外国語の文法も、いわゆる伝統的な規範文法で TG Grammar とは、むしろ反するものであった。また、大学院生が、授業の打ち合わせや進行について、議論するmeeting にも立ち会ったがTG Grammar を研究する大学院生が多いのにも関わらず、TG Grammar とそのカリキュラムは、全く関係がなかった。
実は、UCSD には、外国語として日本語の授業もあったが、これは、Newmark のカリキュラムにはなく、先に紹介した日本語のTG Grammar の先駆者Yuki Kuroda が、担当していた、というか、やらされていた。ある日、私が Kuroda さんに、先生の日本語の授業参観させてください、と頼んだら、Kuroda さんは、ハニカミやのおとなしい人なのだが、困ったようにはにかんで、いやそんな見せるようなものではありませんよ、と断られてしまった。はにかんで断れるとそれ以上は言うないものですね。仄聞するところによると、既成のテキストを使った、至ってつまらない授業だったそうだ。
以前NHKのテレビ英会話で、人気を博した小川邦彦氏のことを知っている人は多いだろう。実は、彼は、私がUCSD に行ったと同時期に Utah 大学の日本語の助手からUCSD の大学院に来て、Dr. Kuroda のもとで、日本語のTG Grammar の研究に励んでいた。そして、ドイツ語のteaching assitant として、英語でドイツ語文法を教えていた。(彼とは、そこで親交を結び、日本の英語教育を改革しようと誓った同志になったが、その話は改めてします)
その彼が、目出度くPh. D をとり、San Diego State University の日本語のAssistant Professor になったが、そこで彼が実践した日本語教育は、彼独自のものだったが、TG Grammar とは、関係なかった。その彼は、その後国際キリスト教大学へ日本語の教員として帰国し、その間にNHK 英会話講師として活躍した。数年後には念願かなって、山梨大学の英語教育担当助教授となったが、彼が実践した英会話や英語教育法も、TG Grammar を取り入れたものではなかった。
このように、私の体験をを長々と紹介したが、つまりは、TG Grammar の専門家たちは、自分たちが研究しているから、それが、英語教育やその他の言語教育には何の役にも立たないことをよく知っていたのである。TG Grammarの最先端の現場での見聞であるから、信憑性があるでしょう。
そういうわけだから、日本の大学の英語学者が、右向け右で、チョムスキアンになってしまったことで、現場の英語教育に英語学や言語学の成果に基づいた英語学習は期待できないことになってしまったのである。
そこで、けしからんかった第一の大学関係者は、英語教員養成を主目的とする教員養成の教育学部の英語学の教員である。
TG Grammar が英語教育に役立たないことを理解して、それに代わる英語教育に役立つ英語学を研究すべきだったのだ。常識的に考えてそう思いませんか。
それでは、英語学の研究を目的とする、文学部の大学・大学院は、英語教育に対する責任は、一応ないので、ひたすらTG Grammar を研究しておればよかったのか。その学生が、英語学者になることが目的で英語学を勉強しているなら、それでもかった。しかし、実際には、文学部の卒業生の多くも、主として高校の英語教師になるものが多い。それを知っていて、英語教育に役に立たないTG Grammar を教えていたなら、文学部のチョムスキアンもけしからんと思いませんか。そして更にけしからんのは、そういう文学部の大学院で TG Grammar の専門家を養成して、それを、教員養成大学の英語学の教員として送り込んでいたから、こんなけしからんことはないではないですか。こちらの方が罪が大きいかも知れないな。
なんかだんだん怒れてきませんか。こういうことは、普通の人は知らないでしょう。税金の無駄遣いでした。
ちょっとくどかったでしょうが、これくらい書かないと、腹の虫が治まらないので、つい長くなりました。
まだ続きがありますが、明日以降に。
追記:この話をするために、Linguistics Deparment の Website を訪れたら、Dr. Klima と Dr. Kuroda が2009年に亡くなったという訃報が載っていた。ここに心からお悔やみをもうします。お二人については、いろいろ思い出がありますので、近日中に、このブログで語らせていただきます。
で、先を急がねばなりません。
日本の英語学者にとって、英語教育に関知しなくても、それを正当化するありがたい話があった。それは、御大のチョムスキー自身がTG grammar は、英語教育その他の言語教育と関係ないと言っていたからだ。関知するな、とまでは、言ってなかったと思うけど。
それを裏付ける私自身の経験がある。
先に述べたように、私は、1971年9月から1972年9月まで、TG Grammar の西のメッカといわれた Department of
Linguistics, UCSDに文部省在外研究員として滞在していた。UCSD は、UC Berkeley など、一連のUniversity of
California system でも比較的新しく、1960年の創立である。(因みにUC Berkeleyの創立は、ゴールドラッシュ時代の1849年に遡る。)
UCSD 創立に際し、Department of Linguistics に、当時 Harvard 大学の教授で MIT のChomsky とともに TG
Grammar の理論の確立の加わったEdward S. Klima を招聘した。また、MIT でChomsky のもとで、日本語のTG Grammar 理論を確立したYuki Kuroda も加わっていた。従って、そこには全米のみでなく、世界各地から、TG Grammar で学位をとろうとする俊英が集まっていた。かくいう私もその一人と、言いたいところだが、私はそうではなかった。
私がUCSD の Linguistics Department に行ったのは、そこに、Leonard Newmark という教授が、UCSD の外国語教育のユニークな統一カリキュラムの開発・実施していたので、その研究に Newmark 教授に招待されていったのであった。この人はアルバニア系アメリカ人で、Oxford 大学などから、アルバニア語の辞書や学習書を出版している。
行ってみて分かったが、それは次のようなカリキュラムであった。
まず第一に知っておくべきことは、アメリカの大学では、大学院の学生には、生活できるだけの給料を出さなければならない。そうでないと、優秀な大学院生が集まらない。そのために、大学院生を teaching assistant や research assistant として雇うわけである。その雇う金は、大学から支給されるわけでなく、教授なり、department が、外部から研究費や寄付金を調達して集めなければならない。この Newmark という人は、商才があったらしい。UCSD の外国語の授業を全部 Linguistics Department で引き受けて、大学当局からその運営費をもらい、それで、大学院生を teaching assistant に雇って、彼らにフランス語、ドイツ語、スペイン語などを教えさせたのである。そして賢いのは、そのカリキュラムを二本立てにし、一つは、それぞれの外国語を母語とする大学院生に、それぞれの言葉で会話主体のカリキュラムで教えさせ、アメリカ人や例えば日本人の大学院生たちには、作成したテキストに従って、そそれぞれの外国語の文法について、英語で教えさせたのである。そして、その運営は、全部大学院生にまかせて、Newmark 以外の教授は、ノータッチであった。
そこで、肝心なことであるが、Native speaker が教える会話中心の授業は、TG Grammar とは、何のかかわりもないし、また、もう一方の各外国語の文法も、いわゆる伝統的な規範文法で TG Grammar とは、むしろ反するものであった。また、大学院生が、授業の打ち合わせや進行について、議論するmeeting にも立ち会ったがTG Grammar を研究する大学院生が多いのにも関わらず、TG Grammar とそのカリキュラムは、全く関係がなかった。
実は、UCSD には、外国語として日本語の授業もあったが、これは、Newmark のカリキュラムにはなく、先に紹介した日本語のTG Grammar の先駆者Yuki Kuroda が、担当していた、というか、やらされていた。ある日、私が Kuroda さんに、先生の日本語の授業参観させてください、と頼んだら、Kuroda さんは、ハニカミやのおとなしい人なのだが、困ったようにはにかんで、いやそんな見せるようなものではありませんよ、と断られてしまった。はにかんで断れるとそれ以上は言うないものですね。仄聞するところによると、既成のテキストを使った、至ってつまらない授業だったそうだ。
以前NHKのテレビ英会話で、人気を博した小川邦彦氏のことを知っている人は多いだろう。実は、彼は、私がUCSD に行ったと同時期に Utah 大学の日本語の助手からUCSD の大学院に来て、Dr. Kuroda のもとで、日本語のTG Grammar の研究に励んでいた。そして、ドイツ語のteaching assitant として、英語でドイツ語文法を教えていた。(彼とは、そこで親交を結び、日本の英語教育を改革しようと誓った同志になったが、その話は改めてします)
その彼が、目出度くPh. D をとり、San Diego State University の日本語のAssistant Professor になったが、そこで彼が実践した日本語教育は、彼独自のものだったが、TG Grammar とは、関係なかった。その彼は、その後国際キリスト教大学へ日本語の教員として帰国し、その間にNHK 英会話講師として活躍した。数年後には念願かなって、山梨大学の英語教育担当助教授となったが、彼が実践した英会話や英語教育法も、TG Grammar を取り入れたものではなかった。
このように、私の体験をを長々と紹介したが、つまりは、TG Grammar の専門家たちは、自分たちが研究しているから、それが、英語教育やその他の言語教育には何の役にも立たないことをよく知っていたのである。TG Grammarの最先端の現場での見聞であるから、信憑性があるでしょう。
そういうわけだから、日本の大学の英語学者が、右向け右で、チョムスキアンになってしまったことで、現場の英語教育に英語学や言語学の成果に基づいた英語学習は期待できないことになってしまったのである。
そこで、けしからんかった第一の大学関係者は、英語教員養成を主目的とする教員養成の教育学部の英語学の教員である。
TG Grammar が英語教育に役立たないことを理解して、それに代わる英語教育に役立つ英語学を研究すべきだったのだ。常識的に考えてそう思いませんか。
それでは、英語学の研究を目的とする、文学部の大学・大学院は、英語教育に対する責任は、一応ないので、ひたすらTG Grammar を研究しておればよかったのか。その学生が、英語学者になることが目的で英語学を勉強しているなら、それでもかった。しかし、実際には、文学部の卒業生の多くも、主として高校の英語教師になるものが多い。それを知っていて、英語教育に役に立たないTG Grammar を教えていたなら、文学部のチョムスキアンもけしからんと思いませんか。そして更にけしからんのは、そういう文学部の大学院で TG Grammar の専門家を養成して、それを、教員養成大学の英語学の教員として送り込んでいたから、こんなけしからんことはないではないですか。こちらの方が罪が大きいかも知れないな。
なんかだんだん怒れてきませんか。こういうことは、普通の人は知らないでしょう。税金の無駄遣いでした。
ちょっとくどかったでしょうが、これくらい書かないと、腹の虫が治まらないので、つい長くなりました。
まだ続きがありますが、明日以降に。
追記:この話をするために、Linguistics Deparment の Website を訪れたら、Dr. Klima と Dr. Kuroda が2009年に亡くなったという訃報が載っていた。ここに心からお悔やみをもうします。お二人については、いろいろ思い出がありますので、近日中に、このブログで語らせていただきます。
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