Digital Children には、teacher は要らない


今日は、予告しましたように、ICT (Information Communication Technology )が、教育の世界、特に teacher の役割をどのように変えたかを、Don Tapscott が Growing up digital で展開した論を紹介しながら進めます。
また、アメリカの思想の紹介か、と思われる人もいると思いますが、ICT は、アメリカでまず発展したから、仕方ないですね。

この本、1998年の刊行で、日本でもすぐ「デジタルチルドレン」というタイトルで翻訳が出ました。アメリカでは、まだ、新刊本で買えますが、日本では、中古本でないと買えません。
この本の特徴は、単に著者の意見を述べるのでなく、300人以上の、彼の言うところの Net Generation の生徒たちとの interview に基づいた、fact-filled な本で、その interview が随所に紹介されています。しかし、日本語の翻訳では、その interview は、すべて省略されていますから、価値が半減しています。

1998年というと、Windows 95が出て internet へのアクセスが格段に容易になった頃です。アメリカでは、学校や家庭でいち早く普及したので、この頃の生徒たちは、internet の中に生まれてきた世代なわけです。
Don Tapscott は、この世代を Net Generation (通称、N-Gen) と名づけて、この世代が既に世の中を変えつつあるし、彼らが成人に達した頃には、社会に大きな変革をもたらすと予言しています。

その予言が的中したのが、twitter など、net を自在に操る選挙戦術で大方の予想を覆して、初の黒人大統領の
Obama の選出でした。
現在の日本の社会でも、政界では、次の参院選では、ネット選挙解禁の動きが、特に民主党の若い N-Gen から出ています。内閣改造で、今国会では、法案の成立が危ぶまれていますが、この動きは止められないでしょう。自民党の青木とか、ネット苦手の抵抗勢力が政界から引退すれば、抵抗勢力も絶滅種となって滅びていきますから。
ネット通販の成長、ネットバンキングやネット投資など、ネットによる無店舗ビジネスが、旧来の店舗主体のビジネスを圧倒しています。ネット業界の雄、楽天の勢いは、プロ野球にまで及んでいます。プロ野球「楽天」の本拠地は、仙台ですが、私の推測では、ネットの楽天店舗をつうじた隠れ楽天ファンが結構全国にいると思いますね。私なども、先日マー君が巨人戦に投げた時には、つい巨人より楽天を応援している自分に気がつきました。


それは、さておき、私が、ここで、くどくど解説するまでもなく、こういう動きは、日々報道されていますし、今後も、目立ってくるでしょうから、皆さんも目を光らせておいてください。

そこで、問題なのは、Dan Tapscott が、特に強調している教育界における N-Gen の行動です。
人類の歴史においては、ずーと先行世代が、後続世代より、知識・技術に優れるという generation gap がありました。教育という行為は、先行世代が、先に自分たちが蓄積してきた知識・技術を後続世代に伝えて、その gap を埋め、先行世代に追いつかせ、世代をつないで、人類の知識・技術を絶えないようにするためのものでした。

Dan Tapscott は、それに対して、net 時代には、generation gap に代わって、generation lap が生まれている、と言います。
この lap は、陸上競技場の一周の時間のことです。Dan さんの言うところでは、net 時代の digital technology の利用では、N-Gen が、先行世代より一周進んでいる、というのです。
と、いうことは、教育の世界では、digital technology や internet の活用については、教師より生徒の方がよくできる、というわけです。
先行世代は、テレビ世代である。テレビは見るだけの受身的メディアである。
Internet を初めとする digital なICT は、interactive メディアであり、それを駆使することによって、世の中に対する関わり方も違ってきます。
N-Gen は、受身的に教えてもらうのを待つのでなく、digital technology を駆使して、見知らぬ人とも積極的に交わり、知りたいことは自分で調べることが出来る世代なのです。


そうなると、教師と生徒という、それまでの役割に変化が生じてきます。

何かを学習しようとする時、生徒の方が必ずしも教師を必要としない事態が生じてきたのです。
教師に教えてもらおうと思うと、教師の知っていることしか教えてもらえません。
しかも、一対一で、つまり、a face to a face で教えてもらうことは普通は出来ません。他の生徒と一緒に教えてもらうのが普通です。また、教師のペースで教えるので、それについていけない生徒は、分からなくなります。また、よくできる生徒は、退屈するでしょう。これは、学校教育に普通のことですから、よく分かるでしょう。

ところが、digital technology を使って、internet にアクセスしたり、digital media package の各種学習メディアを使えば、そういうものを駆使できる N-GEN は、自分で勝手に学びたいことは何でも学べることができるようになったのです。このことも、最近よく指摘されますから、お分かりになるでしょう。

それでは、教師の仕事は何なの?ということになります。

どこの国にも、日本の文部科学省にあたる教育を担当する中央政府の役所があり、次の世代が、国民(市民)として学ぶべきことを規定しています。いくら生徒が、勝手に学びたいといっても、一定の基準があるわけです。

それを、教えるのでなく、学ばせるのが、digital 時代の教師の仕事だ、と Dan さんは言うわけです。
そういう教師は、もはや、teacher でなくて、educator であると、彼は言い、実際に紹介されている教師も、私は、もはや teacher ではない、educator と呼ばれたい、と言っています。
英語の educate は、よく知られているように、引き出す、という意味です。
educator は、一方的に教えるのでなく、生徒の能力を引き出す人だというわけです。
というわけで、digital children にとって、必要なのは、teacher ではなく、educator である、となります。

この程度の説明では、まだ、不十分です。もう一回分くらい、話を続けますが、一旦休憩します。
第一幕終わりです。

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