「キリスト教画」は、「写実」でなければならなかった。

今日の話は、まったく私が自分で考えたことであって、どこかに書いてあったことでも、人から聞いたことでもありません。ローマ法王が読んだら(読むはずはありませんが)、びっくりするか、怒るかするでしょうが、私は「敬虔な」Christian でありませんから「破門」することもできません。日本では、あるいは日本人では、信じられないくらい、宗教、特に、キリスト教については、事と次第では、「変なこと」(または、「変わったこと」、どちらも「変」)を言ったり書いたりすると、過敏な反応があります。まあ、世界中の人がこのブログを読んでいるわけではなし、通知をしている人は、Christian ではないし(そうでしょうね)、そんな心配は要りませんが、念のため、私は、日本国籍を持ち、税金を払っているものとして、日本国憲法が保証する「信仰と言論の自由」に基づいて、今日のブログを書いていることを、最初に断っておこうと思います。
 前置きが長くなりました。
 こういうことから始めましょう。案外、指摘されていないこと、だと、思いますが。
 イスラームの開祖、Muhammad は、実在したことは、事実です。Wiki を参照してください。
 http://en.wikipedia.org/wiki/Muhammad
 仏教の開祖 Buddha も実在しました。
 http://en.wikipedia.org/wiki/Gautama_Buddha
 それに対して、キリストは、実在したかどうか、実在したとして、果たして、現在知られている人物かどうか、疑いがもたれています。このことは、私が疑っているのではなく、History Channel や、National Geographic などの、いくつかの documentary 番組で取り上げられている topic です。
  http://en.wikipedia.org/wiki/Jesus
 そもそも、彼が起こしたといわれる数々の奇跡は、現代の科学では実証できることではありません。水がワインに変わるなんてありえない話です。死んだ人間が生き返るとか、そもそも精子なしで、子ができるとか、なぜそんなことが信じられるのか、不思議に思いませんか。信心が足りないから、らしいですが。
 イスラームや仏教には、そういう話はないでしょう。(仏教にあったかな。知ってたら教えてください)
 私が不思議に思っていることがあります。
 「それでも地球は動く」と言ったガリレオは、なぜ「精子がないのに子ができるか」と言わなかったのでしょう。
 万有引力を、りんごが落ちるのを見て発見したといわれているニュートンも、「処女懐胎」という因果関係はこの世に存在しない、という論文を書かなかったでしょう。
 「種の起源」のダーウィンは、「種」なしで、種が繁栄することはない、と言わなかったのでしょう。

  もうひとつ、見逃されている(と、思う)事実があります。
 イスラームでは、信仰の対象は「アラー」であって、Muhammad ではない、です。
 仏教では、(これはちょっと自信ありませんが、Buddha その人でなく、彼が解いた仏法が「仏教」、つまり、仏の教えであり、具体的には、仏を具現化した、仏像が信仰の対象になっている、というのが、私の考えですが、詳しい方、教えてください。更に言えば、仏法の教えは難しくて、素人には分からないので、「南無阿弥陀仏」(これ自体何のことか分かりませんが)と唱えていれば救われる、というか、「極楽」へ行けると、偉い坊さんたちは説きました。それを信じて、長島や越前の一向一揆の百姓たちは、信長と戦い、女子供にいたるまで虐殺されました。越前一揆では、秀吉軍が情け容赦もなく殺戮をしています。ナチスよりひどいですよ。越前の一向一揆をあつかった、天野純布『風吹く谷の守人』という小説を紙の本で読んでいるところなので、こんな感想がつい出てきました。
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 話を戻して。
 そこへ行くと、キリスト教は、「神」でも「仏」でもなく、キリストという人を信仰する宗教です。
 そして、その人の出自も、行ったとされることも、誰も証明できない、ことです。そうしたと、されるのは、主としてマタイ、ルカ、ヨハネ、マタイの4福音書に記されていることが、元になっています。
もう数年前になりますが、Da Vinci Code という小説とその映画が世界中で評判になりました。キリスト教について何も知らない日本人の間でも話題になり、翻訳書は本屋で山積み、映画は大ヒットしました。本を読んだり、映画をみた多くの日本人の感想は、「よう分からん」ということでした。
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 それはそうでしょう。あの話は、「マグダラのマリア」の話を知らないと、分かりません。
 「福音書」というと、前記4つだけと思っている人が多いし、長いことカソリック教会は認めてきませんでしたが、4福音書以外にも、たとえば「ヤコブ福音書」「トマス福音書」などもあるし、あの裏切り者とされているユダの「福音書」までもあります。その中に、マグダラのマリアの「福音書」もあります。しかし、正統派のカソリックに都合のわるい「福音書」は、「聖書」のなかには、含まれず、「外伝」として付けくわえられるか、「ユダの福音書」のようなものは、まったく無視されてきたのです。
 今ちょっと調べてもわからなかったのですが、Da Vinci Code は、1955年になってテキスト全体が公刊された「マグダラのマリアの福音書」が契機になっているような気がします。下記のWiki が参考になります。
http://en.wikipedia.org/wiki/The_Da_Vinci_Code
http://en.wikipedia.org/wiki/Mary_Magdalene
http://en.wikipedia.org/wiki/Gospel_of_Mary
 長くなりそうなので、一応けりをつけます。
 というわけで、キリスト教は、真偽定かでない人物と、その人生に基づいているわけです。そこで、出てくるのが、西洋の宗教画の「写実」です。「宗教画」というと、いかにも『宗教」一般の絵画のように聞こえますが、西洋の「宗教画」とは、「キリスト教画」のことです。
 もうお分かりでしょう。なぜ、「キリスト教画」が「写実」に走ったか、は。
 続きは明日です。
 ちょうどいい機会ですから、付け加えておきたいことがあります。
 このブログは、「英語学習もろもろ」と題されています。「英語学習」になぜ、今回にかかわらず、今まで取り上げてきたようは多種多様な雑多なトピックが関係があるか、ということです。
 「英語」を「学習」する主目的は、日本語の通じない人と「英語」で communicate するためです。そのためには、そういう人の考え方や生活様式など知っていなければなりません。「英語」を話す人の多くは、Christian です。後は言うまでもないでしょう。

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