「英語科教育担当」専門家は、いずくに?大学の責任を問う。
昨日は、こんな話でした。
「いざなぎ景気」のお陰で、文部省もお金ができた。
全国の教員養成大学に、本来当然あるべきなのに、金がなくて配れなかった教科教育担当ポストを配り始めた。
各大学は、「教科教育」の専門家でなく、従来の「専門」の教員を採り始めた。
ということでした。
「英語英文学科」でいえば、
「英語科教育」のポストに、「英語科教育」の専門家でなく、「英語学」「英文学」の専門家を募集した、
という世間から常識を疑われることをした、という話でした。
「それでは、要求されている各教科の「教科教育法」の授業は、誰が担当するのか、という疑問がわくでしょう・」
というところで、昨日は終わりました。
答えは簡単で、「教科教育」のポストがなくても、教員免許取得に必須の「教科教育法」の授業は、それまで行われていたし、行う必要がありました。
それは、大抵、各学科の最長老が行うか、あるいは、若手に押し付けていた、と思います。
岐阜大学の英語英文科では、最長老の M 教授が担当していました。
M 教授は、旧制の中学校の英語教員から、岐阜大学発足時に英語教員に採用された人で、「音声学」が専門ということでした。旧制中学教員の経験があるので、「英語科教育法」の授業を担当していたのです。
ちょっと、必要な回り道をします。
「教科教育」のポストが来ても、その専門家を求めなかったのには、無理からぬ事情がありました。
というのは、そのような専門家の大学教員を養成する大学院は、一箇所を除いて、なかったのです。
更に、教科教育を専門に研究できるその一箇所でも、教科教育を専攻する人が少ないのが実情でした。
だから、せっかく「教科教育」のポストを配分されても、それにふさわしい「人材」を募るのは、難しかったのです。
これから先は、どうでもいいことですが、こういう事実があった、ということを知っておいてもいいでしょう。
それで、その一箇所とは、広島大学の「教育学部」でした。
旧制度における、旧制中学教員養成機関の代表は、東京高等師範学校と広島高等師学校でした。後に金沢高等師範学校と岡崎高等師範学校が、加わりました。
後に、女子高等師範学校として、東京高等女子師範学校、奈良女子高等師範学校、広島高等女子師範学校ができましたが、制度上区別されていたそうです。
高等師範学校の沿革について、詳しくは、下記サイトを。
http://ja.wikipedia.org/wiki/高等師範学校
これらの高等師範学校は、新制大学発足時に、
東京高等師範は、東京教育大学に。
広島高等師範は、広島大学に。
金沢高等師範は、金沢大学教育学部に。
岡崎高等師範は、名古屋大学教育学部に。
東京女子高等師範は、御茶ノ水大学に。
奈良女子高等師範は、奈良女子大学に。
広島女子高等師範は、広島大学に。
なりました。
ここで、あることに気がつきませんでしたか、
東京と広島以外の高等師範は、教育学部に、と書きましたが、
東京と広島は、学部名が書いてありません。
なぜなら、このふたつが、違う合併の仕方をしたからです。
どうちがったか、というと。
東京高師の場合は、教育・教職関係の教員だけが、教育学部に所属し、
各教科の教員は、合併した兄貴分の東京文理大の文学部と理学部に所属したのです。
ところが、広島大学の場合は、広島高師は、そのまま、教育学部になりました。
高等師範学校は、旧制中学教員養成機関でした。その旧制中学が、新制高校になったので、広島大学の教育学部には、高等学校教員養成課程が出来ました。私の記憶では、全国で唯一でした。このあたり詳しい人のコメント求めます。
旧制度では、旧制中学教員養成は、高等師範学校だけでなく、旧制大学でも教員免許が取れるようになっていました。
新制度になってからは、英語教員の場合は、文学部英文科や、外国語大学の英語科が、もっぱら英語教員養成の場になり、後に、外国語学部英米科を設けた大学が加わりました。
これらの大学の第一義的使命は、教員養成では、なかったわけで、そういう意味で、高校教員養成の特化した、教育学部は広島大学だけにあった、というわけです。
それでは、他の教員養成大学の教育学部(発足当初は、学芸学部)と同じ、小中教員養成を担当する学部は、広島大学では、どうなっていたか、という疑問が出てくるでしょう。
広島県にも、小学校教員養成を担当する、各県にあった師範学校がありました。それが、広島大学の小中教員養成学部になったのです。しかし、高等師範学校の方が、教育学部を名乗ってしまたので、同じ学部名を名乗るわけにはいかなかった。当初は、他の大学のように「学芸学部」だったかもしれませんが、他の大学が一律に「教育学部」になった頃(と思いますが)に、「学校教育学部」という名称になっています。
そして、2000年には、「教育学部」と統合しています。最初から、一緒になればよいのに、と思うでしょうが、当時は、高等師範学校と師範学校では、雲泥の差がありましたから、教員たちも一緒になるのを嫌ったのでしょう。
そういう格差の証拠に、「教育学部」には、大学院があったのに、「学校教育学部」、また、それと同格の、教員養成大学・学部に大学院が出来たのは、1900年代の後半になってからです。
話が長くなっていますが、そういうわけで、大学院を持つ広島大学教育学部では、教科教育を専攻する専門家を養成する体制は、制度的には整っていたのですが、ですが、です。
この「教育学部」、高等学校教員養成ですから、当然、高校教員免許取得のための、専門科目も授業科目含まれます。英語で言えば、「英文学」「英語学」が必要です。
だから、当然「教育学部」にも「英文学」「英語学」担当の教員がおり、そのポストもありました。ただ、当初から、「英語科教育担当」のポストがあり、その担当教員がいた、というところが、他の教育学部や、あるいは文学部、外国語学部と違うところです。
「教育学部英文科」に入学した学生は、文学部英文科で、「英文学」や「英語学」の単位をとるのでなく、「教育学部」の授業で単位をとることができました。
つまり、文学部にも、教育学部にも、英文学と英語学の専門の教員がいて、どちらの学部の学生でも、英語教員免許が取れたのです。もっと正確に言うと、文学部の学生は、教員免許を取る必要はないけれど、取ろうと思えば、教職に必要な単位は、余分に教育学ぶへ出向いて取ることが出来た、ということです。それらの単位は、教育学部では、卒業必要単位に含まれていました。ということは、文学部で、英語教員免許を取ろうと思うと、文学卒業必要単位に加えて、余分に、確か、16単位くらいを取る必要がありました。
名前からして、教員養成大学のように思われる東京教育大学は、合併した東京高等師範学校が、文学部、理学部に吸収されて、広島大学のような、高校教員養成課程を持つ「教育学部」は出来なかったので、文学部英文科で英語教員免許をとろうとすると、余分に教職単位をとらなければなりませんでした。
こういう事情なら、広島大学の「教育学部」では、「教科教育」の専門家が、英語の場合なら「英語科教育」の専門家が数多く養成されるので、そういう人を、「英語科教育」ポストが純増になった、教員養成大学の英文科が採用すればよいではないか、と常識は告げるでしょう。
ところが、です。
私は、広島大学の「教育学部」で、免許取得必須16単位の残りの16単位に、どういう科目が用意されていたか、知りませんが、そこの大学院修士課程以上を経て、大学教員になった人の全てが、「英語科教育」の専門ではないのです。
具体的にいうと、岐阜大学教育学部英文科には、一時、英文学担当教員はふたりとも、広島大学出でした。一人は文学部、一人は教育学部の出身でした。詳しくは知りませんが、どうやら、「教育学部」でも、「英文学」とか「国文学」とか「生物」「化学」とか、結局は「教科専門」科目で修士論文を書いて、その方面の専門家になる人の方が多かったようです。現在はどうだか、知りません。このあたりに事情詳しい人がいたらぜひ教えていただきたいものです。
なぜ、どうでもいい話といいつつ、こんなことをくどくど書いたか、というと、かくかくさように、日本では、ずーと「教科教育」の研究が、ないがしろにされてきたという「事実」を強調して紹介したかったからです。
その一方「教科教育」は、学校教育の根幹をなすものですから、必ず教職単位として必須になっています。誰かがそれを担当しなければなりません。そんな大事なものを、「英語科教育」の専門家でなく、「英語学」「英文学」の専門家が片手間に行っていた、という「事実」も明らかにしたかったのです。
急いで断りますが、この後紹介するように、現在では、その事情は大いに変わっています。それも、自然に変わっていったのではなく、「英語教育」を何とかしようと努力した多くの先駆的な人がいたからです。私もそのうちの一人だった、ということを書きたい(書き残したい)ので、こんな話をしているのです。ご了解を。
で、今日の話は何だった、というと、せっかく、教員養成大学に「教科教育」ポストが配られたのに、それを担当する専門家がいなかった、そういう専門家を養成するはずの唯一の機関、広島大学教育学部でも、「教科教育」は、軽んぜられていた(私の推測)ということです。
私に言わせれば、こと英語教育(というより英語学習)に関しては、日本の学校英語教育が、本来果たすべき、社会から期待されてきた役割を果たしてこなかったのは、現場の英語教員もさることながら、彼らを養成してきた大学の責任が問われるべき、なのです。
そういうことを広く世間に知ってもらうには、以上のような「事実」を、くどくど紹介しなければならなかったのです。したくもないことを。
明日からは、いよいよ?そういう事態を打開するために、私がどのようなことをしてきたか、どういう同志がいたか、という話です。
「どういうことをしてきたか」であって、「どういう努力をしてきたか」とは、ちょっと違うのですが。まあ、この違い、読んでいただければ分かるでしょう。
「いざなぎ景気」のお陰で、文部省もお金ができた。
全国の教員養成大学に、本来当然あるべきなのに、金がなくて配れなかった教科教育担当ポストを配り始めた。
各大学は、「教科教育」の専門家でなく、従来の「専門」の教員を採り始めた。
ということでした。
「英語英文学科」でいえば、
「英語科教育」のポストに、「英語科教育」の専門家でなく、「英語学」「英文学」の専門家を募集した、
という世間から常識を疑われることをした、という話でした。
「それでは、要求されている各教科の「教科教育法」の授業は、誰が担当するのか、という疑問がわくでしょう・」
というところで、昨日は終わりました。
答えは簡単で、「教科教育」のポストがなくても、教員免許取得に必須の「教科教育法」の授業は、それまで行われていたし、行う必要がありました。
それは、大抵、各学科の最長老が行うか、あるいは、若手に押し付けていた、と思います。
岐阜大学の英語英文科では、最長老の M 教授が担当していました。
M 教授は、旧制の中学校の英語教員から、岐阜大学発足時に英語教員に採用された人で、「音声学」が専門ということでした。旧制中学教員の経験があるので、「英語科教育法」の授業を担当していたのです。
ちょっと、必要な回り道をします。
「教科教育」のポストが来ても、その専門家を求めなかったのには、無理からぬ事情がありました。
というのは、そのような専門家の大学教員を養成する大学院は、一箇所を除いて、なかったのです。
更に、教科教育を専門に研究できるその一箇所でも、教科教育を専攻する人が少ないのが実情でした。
だから、せっかく「教科教育」のポストを配分されても、それにふさわしい「人材」を募るのは、難しかったのです。
これから先は、どうでもいいことですが、こういう事実があった、ということを知っておいてもいいでしょう。
それで、その一箇所とは、広島大学の「教育学部」でした。
旧制度における、旧制中学教員養成機関の代表は、東京高等師範学校と広島高等師学校でした。後に金沢高等師範学校と岡崎高等師範学校が、加わりました。
後に、女子高等師範学校として、東京高等女子師範学校、奈良女子高等師範学校、広島高等女子師範学校ができましたが、制度上区別されていたそうです。
高等師範学校の沿革について、詳しくは、下記サイトを。
http://ja.wikipedia.org/wiki/高等師範学校
これらの高等師範学校は、新制大学発足時に、
東京高等師範は、東京教育大学に。
広島高等師範は、広島大学に。
金沢高等師範は、金沢大学教育学部に。
岡崎高等師範は、名古屋大学教育学部に。
東京女子高等師範は、御茶ノ水大学に。
奈良女子高等師範は、奈良女子大学に。
広島女子高等師範は、広島大学に。
なりました。
ここで、あることに気がつきませんでしたか、
東京と広島以外の高等師範は、教育学部に、と書きましたが、
東京と広島は、学部名が書いてありません。
なぜなら、このふたつが、違う合併の仕方をしたからです。
どうちがったか、というと。
東京高師の場合は、教育・教職関係の教員だけが、教育学部に所属し、
各教科の教員は、合併した兄貴分の東京文理大の文学部と理学部に所属したのです。
ところが、広島大学の場合は、広島高師は、そのまま、教育学部になりました。
高等師範学校は、旧制中学教員養成機関でした。その旧制中学が、新制高校になったので、広島大学の教育学部には、高等学校教員養成課程が出来ました。私の記憶では、全国で唯一でした。このあたり詳しい人のコメント求めます。
旧制度では、旧制中学教員養成は、高等師範学校だけでなく、旧制大学でも教員免許が取れるようになっていました。
新制度になってからは、英語教員の場合は、文学部英文科や、外国語大学の英語科が、もっぱら英語教員養成の場になり、後に、外国語学部英米科を設けた大学が加わりました。
これらの大学の第一義的使命は、教員養成では、なかったわけで、そういう意味で、高校教員養成の特化した、教育学部は広島大学だけにあった、というわけです。
それでは、他の教員養成大学の教育学部(発足当初は、学芸学部)と同じ、小中教員養成を担当する学部は、広島大学では、どうなっていたか、という疑問が出てくるでしょう。
広島県にも、小学校教員養成を担当する、各県にあった師範学校がありました。それが、広島大学の小中教員養成学部になったのです。しかし、高等師範学校の方が、教育学部を名乗ってしまたので、同じ学部名を名乗るわけにはいかなかった。当初は、他の大学のように「学芸学部」だったかもしれませんが、他の大学が一律に「教育学部」になった頃(と思いますが)に、「学校教育学部」という名称になっています。
そして、2000年には、「教育学部」と統合しています。最初から、一緒になればよいのに、と思うでしょうが、当時は、高等師範学校と師範学校では、雲泥の差がありましたから、教員たちも一緒になるのを嫌ったのでしょう。
そういう格差の証拠に、「教育学部」には、大学院があったのに、「学校教育学部」、また、それと同格の、教員養成大学・学部に大学院が出来たのは、1900年代の後半になってからです。
話が長くなっていますが、そういうわけで、大学院を持つ広島大学教育学部では、教科教育を専攻する専門家を養成する体制は、制度的には整っていたのですが、ですが、です。
この「教育学部」、高等学校教員養成ですから、当然、高校教員免許取得のための、専門科目も授業科目含まれます。英語で言えば、「英文学」「英語学」が必要です。
だから、当然「教育学部」にも「英文学」「英語学」担当の教員がおり、そのポストもありました。ただ、当初から、「英語科教育担当」のポストがあり、その担当教員がいた、というところが、他の教育学部や、あるいは文学部、外国語学部と違うところです。
「教育学部英文科」に入学した学生は、文学部英文科で、「英文学」や「英語学」の単位をとるのでなく、「教育学部」の授業で単位をとることができました。
つまり、文学部にも、教育学部にも、英文学と英語学の専門の教員がいて、どちらの学部の学生でも、英語教員免許が取れたのです。もっと正確に言うと、文学部の学生は、教員免許を取る必要はないけれど、取ろうと思えば、教職に必要な単位は、余分に教育学ぶへ出向いて取ることが出来た、ということです。それらの単位は、教育学部では、卒業必要単位に含まれていました。ということは、文学部で、英語教員免許を取ろうと思うと、文学卒業必要単位に加えて、余分に、確か、16単位くらいを取る必要がありました。
名前からして、教員養成大学のように思われる東京教育大学は、合併した東京高等師範学校が、文学部、理学部に吸収されて、広島大学のような、高校教員養成課程を持つ「教育学部」は出来なかったので、文学部英文科で英語教員免許をとろうとすると、余分に教職単位をとらなければなりませんでした。
こういう事情なら、広島大学の「教育学部」では、「教科教育」の専門家が、英語の場合なら「英語科教育」の専門家が数多く養成されるので、そういう人を、「英語科教育」ポストが純増になった、教員養成大学の英文科が採用すればよいではないか、と常識は告げるでしょう。
ところが、です。
私は、広島大学の「教育学部」で、免許取得必須16単位の残りの16単位に、どういう科目が用意されていたか、知りませんが、そこの大学院修士課程以上を経て、大学教員になった人の全てが、「英語科教育」の専門ではないのです。
具体的にいうと、岐阜大学教育学部英文科には、一時、英文学担当教員はふたりとも、広島大学出でした。一人は文学部、一人は教育学部の出身でした。詳しくは知りませんが、どうやら、「教育学部」でも、「英文学」とか「国文学」とか「生物」「化学」とか、結局は「教科専門」科目で修士論文を書いて、その方面の専門家になる人の方が多かったようです。現在はどうだか、知りません。このあたりに事情詳しい人がいたらぜひ教えていただきたいものです。
なぜ、どうでもいい話といいつつ、こんなことをくどくど書いたか、というと、かくかくさように、日本では、ずーと「教科教育」の研究が、ないがしろにされてきたという「事実」を強調して紹介したかったからです。
その一方「教科教育」は、学校教育の根幹をなすものですから、必ず教職単位として必須になっています。誰かがそれを担当しなければなりません。そんな大事なものを、「英語科教育」の専門家でなく、「英語学」「英文学」の専門家が片手間に行っていた、という「事実」も明らかにしたかったのです。
急いで断りますが、この後紹介するように、現在では、その事情は大いに変わっています。それも、自然に変わっていったのではなく、「英語教育」を何とかしようと努力した多くの先駆的な人がいたからです。私もそのうちの一人だった、ということを書きたい(書き残したい)ので、こんな話をしているのです。ご了解を。
で、今日の話は何だった、というと、せっかく、教員養成大学に「教科教育」ポストが配られたのに、それを担当する専門家がいなかった、そういう専門家を養成するはずの唯一の機関、広島大学教育学部でも、「教科教育」は、軽んぜられていた(私の推測)ということです。
私に言わせれば、こと英語教育(というより英語学習)に関しては、日本の学校英語教育が、本来果たすべき、社会から期待されてきた役割を果たしてこなかったのは、現場の英語教員もさることながら、彼らを養成してきた大学の責任が問われるべき、なのです。
そういうことを広く世間に知ってもらうには、以上のような「事実」を、くどくど紹介しなければならなかったのです。したくもないことを。
明日からは、いよいよ?そういう事態を打開するために、私がどのようなことをしてきたか、どういう同志がいたか、という話です。
「どういうことをしてきたか」であって、「どういう努力をしてきたか」とは、ちょっと違うのですが。まあ、この違い、読んでいただければ分かるでしょう。
"「英語科教育担当」専門家は、いずくに?大学の責任を問う。" へのコメントを書く