「さらば、英文学!」ー古い上着よ、さようなら。

昨日は、私が岐阜大学教育学部英文科に勤め始めて、「英文学」を担当させられていた、ということまで話しました。
  私までも?英文学関連の授業を担当しているので、学生が英語教員免許取得に必要な32単位の、「英文学」「英語学」「英会話・英作文」(当時のことです)16単位の必須の残りの16単位も全部「英文学」「英語学」でした。英作文・英会話は、必須の4単位しかとらない、というか、余分に授業科目が開かれていないので、それ以上取れないのが、実情でした。これは、他の教員養成教育学部でも同じでした。(と推測します。)
  そういうわけですから、卒業論文のテーマも、英文学か英語学で、しかも、英語学を選ぶのは、一人か二人しかいませんでした。他の大学のことは、知りません。これは、担当教員の「魅力」?と大いに関係があります。
  私は一応「英文学」担当ですので、卒業論文指導として、最初の年にあてがわれた4人は、全て英文学がテーマでした。
  英文学、というと、大したことのように、大学のことを知らない人は思うでしょうが、一人の作家の、それもひとつの作品を、多くの場合翻訳を参考に、読んで、「感想文」を書くだけの感じです。小学校や中学校の時の「読書感想文」に毛の生えたようなものです。このことは、実情を知っているひとなら「事実」として、頷くことです。
 その4人は、女子2人、男子2人でした。卒業後、女子の一人と男子の一人は、小学校教員に、女子の一人は中学校教員に、男子の一人は高校教員になりました。
  卒業論文で、「読書感想文」を書いたって、教育現場で何の役に立つのか、と deep doubt を感じました。これは、何とかしないかんな、と思ったのですが、他の教員は、他の学科の人も含めて、そんなことを思っている人はいなかったですね。不感症?かな。(これは推測)
 こんな卒業論文指導をさせられると、指導上、読みたくもない作品を読まなければならないし、下手な英語を直すのも大変だし、かなわんな、いつまで続くぬかるみぞ?というようなことを漠然と感じていましたね。
 二年目の秋ごろだったと、覚えています。大学の外で、ある会合があって、その帰り際に、主任の M 教授から「藤掛さん、ちょっと話があるけど。」と呼び止められ、喫茶店に誘われました。
 先ずは、当時の学科の様子を知っておいてください。Documentary ですので、こういうところが必要になります。
  M 教授は、学科の最長老で、三年後に定年を控えていました。次の年長は、英語学の U 助教授でした。先にも指摘したように、「教科教育法」は、学科の最長老が担当するのが、慣例でした。ですから、M 教授の退官後は、U 助教授が受け継ぐのが、いわば規定路線でした。
 そこで、M 教授の話です。
 「私の定年後のことだけど、「英語科教育法」を U さんにやってくれないか、と頼んだら、いやだ、というんだ。藤掛さんは、東京教育大出身だし、中学校教員の経験もあるから、あんた私の後をやってくれんかな。」
「 教育大」と言ったって、名のみで、英文科の中身は、教育とさっぱり関係ないどころか、むしろアンチ教育の雰囲気なのに、その名が、こういう時には、役立つのですね。
  「棚から牡丹餅」とは、こういうことでしたね。「願ったり叶ったり」も、こういう時に言うことばです。
  しかし、英語関係の人は、U 助教授のように迷惑だ、と思うのが普通でした。
  まんざら、推察でもない証拠に、こんな話がありました。私が大学院博士課程に居た頃、助教授の Y 先生が、京都のある私大へ行かないか、と勧めてくださったことがありました。私が、まだ博士課程にいたいから、という理由でお断りしたら、どういうところへ就職したいですか、訊かれたので、教員養成学部の英文科へ行きたいです、と答えたら、あきれたような顔をして、変わってますね、と言われました。つまり、そういうところを希望する人は、少なくとも名古屋大学では、いなかったということです。実際、ずーと誰もいませんでしたね。
  話は戻って。M 教授との喫茶店の場面です。
  そこで、「しめた!」と、喜色満面になりたいところを、ぐっとこらえて、どういう顔をしたか、覚えていませんが(もっとも自分では見れないか)、
  「先生が、そうおっしゃるなら、やらざるを得ませんね」とか何とか、先ずは恩をきせて、
  「ついでは、先生の後を立派に継ぐには、今から、その方面の研究に取り組まなければならないので、それまでの間でも、特に、英語科教育とまったく関係のない「古い英文学」の授業は
やめて、英語教育に関係のある授業に切り替えてもいいですか。」
 と条件をつけました。
  本来そういうことは、教室会議で決めることで、英文学担当の二人の助教授が、渋ったかどういったか、忘れました。
  が、ともかく、こんなことがあって、首尾よく、私は、英文学から解放され、「英語科教育」というより、「英語教育」の研究や授業に専念できることになったのです。
  そして、授業科目は、依然として「英文学」なんとか、となっていても、中身は、英語教育のことを、取り上げ始めました。そうなると、てきめんなもので、三年目から、卒業論文で、授業の内容を反映したテーマを取り上げる学生が増えてきました。
  具体的にいうと、二年目は、女子3人、男子一人で、その男子が、英語教育に関したテーマを取り上げました。女子三人は、英文学でしたが、そのうち二人は一般就職しましたから、害はなかったです。
 三年目は、男子二人、女子二人で、男子二人が、授業でやって、MacLuhan の media 論をテーマにし、そのうち一人は広告会社に就職しました。そして、4年目になったら、男子ばかり4人で、全員が英語教育のテーマになりました。
  英文学や英語学の授業ばかりしているから、卒業論文もそうなるのであって、ちゃんと英語教育の授業を行えば、卒業論文に英語教育を選ぶ学生はちゃんと増えてくるのです。
  問題は、私は、制度的には、まだ、「英文学」担当なので、中身は英語教育のことであっても、授業題目は依然として、「英文学~」になっていたことです。これは、まったく居心地の悪いことでした。
  そこで、私が、正式に「英語科教育」担当になったときに、「たった一人の反乱」が始まる(始めたと言う方が正しいかな)のです。
  それは、また、明日の話です。

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