まず「訊く」から、始める。Face to face (一対一)で。
日本の英語教育界に根強くはびこっている迷信があります。
ことばの習得の順序は「聞く」「話す」「読む」「書く」だから、
まず、英語を聞かせることから始める、
という愚かな考え。愚かと気づかないのも愚か。
その聞かせ方も、教室で、先生一人が大勢の生徒に一斉に同じことを同時に聞かせる。
母語を習得する過程で、そんな聞き方をすることがありますか。そんなことにも気が付かないなんて、と思いませんか。
最近の、英語の「授業」は、All English で、というのも、その迷信の延長上です。
そんなことやって、効果あるかどうか検証しているのかな?
「きく」というのには、「聞く」だけでなく、「訊く」というのもあります。
親が子に話しかける時、一方的に話しかけて、黙って「聞いておれ」ということはしないでしょう。
あれこれ「訊く」ことが多いでしょう。
そして、「訊いたら」、返事がないと、この子 dumb ではないか、と心配するでしょう。
「きく」のは、子供のほうではなく、親のほうで、その「きく」は、「訊く」です。
そして、子の方は「聞く」のでなく、「訊かれた」ことに答えるのです。
SF Modular System は、そんな迷信とは絶縁しています。
昨日の Chart を思い出してください。
四つの sports の絵があって、いきなり
Do you play tennis?
と、「訊かれ」ます。
最初から長い文は、言えないので、
Yes, I do. か No, I don’t.
と答えます。
Yes, No, だけでもいいのです。
大事なことは、「聞いて」いるだけでなく、「訊かれた」ことにちゃんと答えることです。
そして、とてもとてもだ大事なことは、絶対嘘をつかないことです。
tennis をしないのに、Yes, I do.
と言ったらうそになります。
一時はやった、Patter Practice というのがあります。
先生が、
I play tennis.
と言って、生徒に repeat させます。
Question というと、生徒は
Do you play tennis?
と、「疑問文」に変えなけれbなりません。
そこで、先生が、Yes,
と、言うと、生徒は、
Yes, I do. I play tennis.
と言うことが期待されています。
次に先生が No というと、生徒は、
No, I don’t. I don’t play tennis.
と言うことが期待されています。
なんだか変と思いません。
嘘を言っているでしょう。
こんなことがまかり通っていたのです。
さすがに、これはおかしい、と気づいた人たちもいて、pattern practice は、廃れましたが、
それでも、次の文を疑問文に変えよ、とか、否定文にせよ、という類の問題は後を絶ってないようです。Am I right?
ところで、面白いことがありますよ。
この最初の tennis の例を、今まで何人かの英語の先生にやってもらったことがあります。
半分以上の先生が、
最初の Do you play tennis? を「聞く」と、
Do you play tennis?
と repeat するのです。
そこで、私が、今度は、日本語で、「あなたテニスします。」と質問すると、
はい、します、とか、しません、とか、答えます。
自分自身、それまでの英語の「授業」で、英語で「訊かれた」ことがないのでしょうか。
日本語では、「訊かれ」たら、すぐ答えられたのにね。
絶対やめるべき悪習。”Hand up"。「挙手」で答えさせること。その訳は?
http://76871734.at.webry.info/201506/article_6.html
というエントリーがあります。私のブログでは珍しく、2539ものアクセスがあります。
ぜひ読んでみてください。
一部 C&P します。
昨日、私のクラスで、My Profile についての Questions のプリントを配って。その Answers を書くことによって、各学生の My Profile version を完成し、それを blog にする、という menu を紹介しました。
このプリントを配った時に、何人かの学生が、
「これって、自分のことを答えるのですか?」
と訊いて来たのです。
「<日本語であんたの名前は?>と訊かれて、<誰の名前を答えるの?>」
その時に、気がついていたのですが、学生たちは、小学校や中学校で英語を習い始めてから、自分のことについて英語で答えたことが滅多にないのです。全くなかったかもしれません。
英語の質問に答える場合は、次の文を読んで質問に答えなさい、という場合はほとんどです。入学試験もそういう出題ばかりです。
だから、My Profile についての質問のプリントをもらった時、真っ先に彼女らの頭に来たのは、先に読んだ Yumi's/Koji's Profiles に関する質問か、と思ったわけです。
で、このことと ”Hands up" とどういう関係があるか、というと、
直接関係があるわけではないですが、
英語のクラスで、自分のことについて質問されたことがあったとしても、それにすぐに答えることはしてなかったはずです。まず、"hand up" して、当てられた子だけが答えを言っていたでしょう。当てられなかった子は、答えようがなかったのです。
例えば、昨日紹介したような Questions のひとつ、
What is your vision? (こんなことを訊かれたことはなかったでしょうが)
に対する answer は、生徒によって違います。めいめいが一斉に答えたら、先生は聞き取れません。
だから、"hand up" して、当てられた子だけが答える。
"hand up" の慣習は、生徒に answer する機会を奪っているだけでなく、
こういうことをしていると、Donald Clark さんが、このブログの conclusion で指摘しているように、
Research from ‘The Practice of Questioning’ by James Dillon, showed that in both primary and secondary schools, children were rarely asked to come up with their own questions. One study, astonishingly, found that pupils asked only 2 questions to the teacher’s 84. Over a year, pupils were asking questions, on average, just one a month. It’s an easy ‘script’ for teachers to fall back on. But it’s illusory participation that inhibits rather than enhances learning. Teachers need to be giving a helping hand not asking for hand signals.
生徒が質問する機会も奪っているわけです。
生徒に英語で質問しても、hands up させて、一人の生徒だけが答える、その光景、見ただけでも、ばかばかしいことがわかるでしょう。
しかも、すぐ答えるのでなく、間をおいて答えていては、それこそ間が悪いでしょう。
SF Modular Sysytem の Information Activity では、昨日紹介した sports/game の例のように、徹頭徹尾、
自分のことについて、次から次へと、矢継ぎ早に、それこそ息をつく暇もなく、質問され、訊かれたらすぐ答えなければなりません。
そして、それも face to face です。
以前にも指摘しました、学校の授業では、face to faces です。
face to face と face to faces は、質的量的に大違いです。
いくら教室で、顔を合わせているからといっても、face to face ならぬ、face to faces では、なーんにもならないのです。
face to face が可能になったのは、smartphone のおかげなのです。
と、言っても理解できない人が多いでしょう。
続きは、明日に。
よかったら、このエントリーを読んでおいてください。
http://76871734.at.webry.info/201411/article_9.html
ことばの習得の順序は「聞く」「話す」「読む」「書く」だから、
まず、英語を聞かせることから始める、
という愚かな考え。愚かと気づかないのも愚か。
その聞かせ方も、教室で、先生一人が大勢の生徒に一斉に同じことを同時に聞かせる。
母語を習得する過程で、そんな聞き方をすることがありますか。そんなことにも気が付かないなんて、と思いませんか。
最近の、英語の「授業」は、All English で、というのも、その迷信の延長上です。
そんなことやって、効果あるかどうか検証しているのかな?
「きく」というのには、「聞く」だけでなく、「訊く」というのもあります。
親が子に話しかける時、一方的に話しかけて、黙って「聞いておれ」ということはしないでしょう。
あれこれ「訊く」ことが多いでしょう。
そして、「訊いたら」、返事がないと、この子 dumb ではないか、と心配するでしょう。
「きく」のは、子供のほうではなく、親のほうで、その「きく」は、「訊く」です。
そして、子の方は「聞く」のでなく、「訊かれた」ことに答えるのです。
SF Modular System は、そんな迷信とは絶縁しています。
昨日の Chart を思い出してください。
四つの sports の絵があって、いきなり
Do you play tennis?
と、「訊かれ」ます。
最初から長い文は、言えないので、
Yes, I do. か No, I don’t.
と答えます。
Yes, No, だけでもいいのです。
大事なことは、「聞いて」いるだけでなく、「訊かれた」ことにちゃんと答えることです。
そして、とてもとてもだ大事なことは、絶対嘘をつかないことです。
tennis をしないのに、Yes, I do.
と言ったらうそになります。
一時はやった、Patter Practice というのがあります。
先生が、
I play tennis.
と言って、生徒に repeat させます。
Question というと、生徒は
Do you play tennis?
と、「疑問文」に変えなけれbなりません。
そこで、先生が、Yes,
と、言うと、生徒は、
Yes, I do. I play tennis.
と言うことが期待されています。
次に先生が No というと、生徒は、
No, I don’t. I don’t play tennis.
と言うことが期待されています。
なんだか変と思いません。
嘘を言っているでしょう。
こんなことがまかり通っていたのです。
さすがに、これはおかしい、と気づいた人たちもいて、pattern practice は、廃れましたが、
それでも、次の文を疑問文に変えよ、とか、否定文にせよ、という類の問題は後を絶ってないようです。Am I right?
ところで、面白いことがありますよ。
この最初の tennis の例を、今まで何人かの英語の先生にやってもらったことがあります。
半分以上の先生が、
最初の Do you play tennis? を「聞く」と、
Do you play tennis?
と repeat するのです。
そこで、私が、今度は、日本語で、「あなたテニスします。」と質問すると、
はい、します、とか、しません、とか、答えます。
自分自身、それまでの英語の「授業」で、英語で「訊かれた」ことがないのでしょうか。
日本語では、「訊かれ」たら、すぐ答えられたのにね。
絶対やめるべき悪習。”Hand up"。「挙手」で答えさせること。その訳は?
http://76871734.at.webry.info/201506/article_6.html
というエントリーがあります。私のブログでは珍しく、2539ものアクセスがあります。
ぜひ読んでみてください。
一部 C&P します。
昨日、私のクラスで、My Profile についての Questions のプリントを配って。その Answers を書くことによって、各学生の My Profile version を完成し、それを blog にする、という menu を紹介しました。
このプリントを配った時に、何人かの学生が、
「これって、自分のことを答えるのですか?」
と訊いて来たのです。
「<日本語であんたの名前は?>と訊かれて、<誰の名前を答えるの?>」
その時に、気がついていたのですが、学生たちは、小学校や中学校で英語を習い始めてから、自分のことについて英語で答えたことが滅多にないのです。全くなかったかもしれません。
英語の質問に答える場合は、次の文を読んで質問に答えなさい、という場合はほとんどです。入学試験もそういう出題ばかりです。
だから、My Profile についての質問のプリントをもらった時、真っ先に彼女らの頭に来たのは、先に読んだ Yumi's/Koji's Profiles に関する質問か、と思ったわけです。
で、このことと ”Hands up" とどういう関係があるか、というと、
直接関係があるわけではないですが、
英語のクラスで、自分のことについて質問されたことがあったとしても、それにすぐに答えることはしてなかったはずです。まず、"hand up" して、当てられた子だけが答えを言っていたでしょう。当てられなかった子は、答えようがなかったのです。
例えば、昨日紹介したような Questions のひとつ、
What is your vision? (こんなことを訊かれたことはなかったでしょうが)
に対する answer は、生徒によって違います。めいめいが一斉に答えたら、先生は聞き取れません。
だから、"hand up" して、当てられた子だけが答える。
"hand up" の慣習は、生徒に answer する機会を奪っているだけでなく、
こういうことをしていると、Donald Clark さんが、このブログの conclusion で指摘しているように、
Research from ‘The Practice of Questioning’ by James Dillon, showed that in both primary and secondary schools, children were rarely asked to come up with their own questions. One study, astonishingly, found that pupils asked only 2 questions to the teacher’s 84. Over a year, pupils were asking questions, on average, just one a month. It’s an easy ‘script’ for teachers to fall back on. But it’s illusory participation that inhibits rather than enhances learning. Teachers need to be giving a helping hand not asking for hand signals.
生徒が質問する機会も奪っているわけです。
生徒に英語で質問しても、hands up させて、一人の生徒だけが答える、その光景、見ただけでも、ばかばかしいことがわかるでしょう。
しかも、すぐ答えるのでなく、間をおいて答えていては、それこそ間が悪いでしょう。
SF Modular Sysytem の Information Activity では、昨日紹介した sports/game の例のように、徹頭徹尾、
自分のことについて、次から次へと、矢継ぎ早に、それこそ息をつく暇もなく、質問され、訊かれたらすぐ答えなければなりません。
そして、それも face to face です。
以前にも指摘しました、学校の授業では、face to faces です。
face to face と face to faces は、質的量的に大違いです。
いくら教室で、顔を合わせているからといっても、face to face ならぬ、face to faces では、なーんにもならないのです。
face to face が可能になったのは、smartphone のおかげなのです。
と、言っても理解できない人が多いでしょう。
続きは、明日に。
よかったら、このエントリーを読んでおいてください。
http://76871734.at.webry.info/201411/article_9.html
"まず「訊く」から、始める。Face to face (一対一)で。" へのコメントを書く