オペラよもやま話 その15  1960年代までは、演出家の仕事はもっぱら舞台の交通整理だった。

下の画像を見てください。これらは、NHKイタリアオペラ団で、このところ紹介している演出家のブルーノ・ノフリさんが「演出」した演目の舞台です。最初の画像が、『アイーダ』の第二幕凱旋の場面、2つ目は『カルメン』の第1幕です。
Screenshot 2020-02-03 at 9.40.41 AM.pngScreenshot 2020-02-03 at 9.43.38 AM.pngどちらの舞台にも主役級だけでなく、大勢の人が出ています。
これら大勢の人には、合唱団のメンバーとエキストラが含まれています。演目に依っては、バレエダンサーがこれに加わります。『アイーダ』のが凱旋の場では、バレエダンサーも出てきます。合唱団のメンバーは、歌いますが、エキストラは、歌いません。歓声を上げたり、がやがや言うことはあります。
「オペラ」Wiki 日本語版によると、
ルネサンス後期の16世紀末、フィレンツェで古代ギリシャの演劇を復興しようという動きが始まった。ギリシャ悲劇を模範に、歌うような台詞を用いる劇が考えられた。
https://bit.ly/37UFHf9
ギリシャ悲劇には、必ず「コロス」という合唱隊が登場します。
https://bit.ly/37TyGeH
ですから、ギリシャ悲劇を模範にしたオペラには、合唱がつきものです。シーズン制を持つオペラ劇場には、専属の合唱隊が所属しています。逆に言えば、専属の合唱団を持たない劇場は、オペラ劇場とは言えないわけです。
合唱団やエキストラが溢れている METの舞台画像を紹介します。上から順に Turandot, Aida, Carmen, La Boheme です。溢れ状態がよく分かるでしょう。
Screenshot 2020-01-31 at 10.41.53 PM.pngScreenshot 2020-01-31 at 10.45.10 PM.pngScreenshot 2020-01-31 at 10.47.49 PM.pngScreenshot 2020-01-31 at 10.43.29 PM.png
そこで、舞台にあふれる合奏団員やエキストラの出演者が、勝手に動き回っては困るわけです。交通整理をする人が必要になります。ブルーノ・ノフリさんは、この交通整理をしていたのです。上に紹介した『アイーダ』に、先にも紹介したように、愛知県学生寮で同室だった、当時東京芸大油絵科の学生だって T 兄がエチオピアの奴隷として「出演」しています。その彼から、ブルーノ・ノフリさんがどのように交通整理をしていたか、聞いていたはずです。合唱団員やエキストラに、どこに立て、とか、どのように動け、とか direct (つまり、演出)するだけでなく、どっちを向けとか、どういう表情をせよ、とか、つまり、ボケーと立っているだけでは困るので、あれこれ direct する必要があるのです。
ブルーノ・ノフリさん時代の director (演出家)の仕事は、舞台にあふれる合唱団員やエキストラの交通整理や、なりふり指導だったのです。
しかし、ここが問題ですが、ブルーノ・ノフリさんは、合唱団員の合唱、つまり、歌うのは、direct してません。というより、そういうことは出来なかったのです。このことは、現代の演出家でも同じです。
では、合奏団の歌唱を direct しているのは誰か、上演中の合唱団の指揮は、誰がしているか。次回にします。
また、バレエダンサーについては、また別の話になるので、これも「オペラとバレエ」とでも題して、別途とりあげます。
ということで、1960年代までは、「演出家」の役割は、もっぱら、舞台上にあふれる合唱団員やエキストラの交通整理と、その立ち居振る舞いの「演出」をすることだった、という話です。
ついでに言うと、舞台装置や、出演者の衣装も、当時の「演出家」の仕事の範疇にはなかったですね。この話も、次回以降に。

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