「グローバル人材・人財」 vs. 「グローバル・パーソン」

なぜ 「グローバル・パーソン」 という、google でも、まだ hits の少ない、耳慣れない、読み慣れないことばを使うか、という話です。
 この話をするには、やはり、まずよく使われている 「グローバル人材(財)」 「地球人」 「国際人」 を、なぜ、使わないか、というより、使いたくないか、という話からはじめると、わかりやすいでしょう。
 とは、言っても 「国際人」 「地球人」 から、始めると、話がながながとなってしまいますので、それは、大体推察がつくでしょうから、棚上げにして、
 それらに取って代わって、現在盛んに使われている、「グローバル人材(財)」を、使いたくない、ことから、始めます。
 「グローバル人材」 が、流行るまえから、「人材」 ということばは、広く使われていました。
 英語でいうと、human resources とか、時に、human talents あるいは、talented person などといわれます。
"人材 英語" で、google してみるとわかりますが、時と場合でいろいろな言い方があります。自分で試してみてください。
 上の例の場合、前二者は、個人でなく、「人材」 という集合体で、talented person は、個人の場合です。
 「人材」 は、漢語です。 これを訓読すると、「人」 という 「材」 になります。
 「材」 は、「材料」 「接着材」 の 「材」 です。 何かを作ったり、するときに、使われる物質のことです。
 と考えると、「人材」 とは、何かをするときに使う、人間という 「材料」 のことです。
 Wiki によると。
 人材は、社会に役立つ存在であるが、これは個人として役立つというよりも、組織の中で適所に配する事により能力を発揮、組織の機能を向上させる存在である。
http://ja.wikipedia.org/wiki/人材
 英語版では、
Human resources is the set of individuals who make up the workforce of an organization, business sector or an economy. "Human capital" is sometimes used anonymously with human resources, although human capital typically refers to a more narrow view; i.e., the knowledge the individuals embody and can contribute to an organization. Likewise, other terms sometimes used include "manpower", "talent", "labor" or simply "people".
http://en.wikipedia.org/wiki/Human_resources
 
その 「人材」 が、貴重なものになり、価値を生む存在になると、「財産」 としての値打ちが出てくるので、「人財」、つまり、人という財産になるのです。
 ものを作るとか、何かことをすし、そして、金を儲けて 「財産」 を増やすのは、企業活動の目的です。 そのために、「人」 を使うので、その 「材料」 となる人間のことを 「人材」 と呼ぶようになったのです。 「人材」 自体には、さして価値はなく、とにかく 「材料」 として使えれば、「人材」 になれました。
 会社の 「生産活動」 とか 「営業」 「経理」 「経営」 活動は、それなりの知識・技術がないとできませんから、そのための 「人材」 は、学校・大学教育で、そういう知識・技術を身につけた 「人材」 でなければなりませんでした。
 大学教育が普及すると、そういう 「人材」 は、余るほどいるようになったので、企業は、より取り見取りで、「材料」 を仕入れることができました。
 その 「人材」 の一部が、企業にとって 「人財」 になったのです。
 「人材」 と 「人財」 の違いについて、こんな説明があります。
「ジンザイ」 には2種類ある。 事業組織にとってヒトを“材”として扱うか、“財”として扱うかは大きな違いだ。 そして働くひとりひとりにとっても、自分が“材”になるか“財”になるかは人生・キャリアの大きな分かれ目となる。
http://www.insightnow.jp/article/6049

 グローバル化という現象が起きて、企業活動が、国境を越えて行われるようになると、地球上の、つまり、globe のどこへ行っても、「人材」 になれる人が、求められるようになり、そこに、「グローバル人材」 という 「材料」 が必要になったのです。
 とまあ、ざーと、こんな風に考えてみたらどうでしょうか。皆さんの考えはどうでしょうか。 コメントしませんか。 挑発ですが。
 とにかく、「グローバル化」 「グローバル人材(財)」 が、語られているのは、ほとんど、企業活動に関してです。
 国の政治だけにかかわっている、政治家の間で、「グローバル人材」 が語られているのを耳にしたことがないでしょう。 あったら、教えてください。
 本来 「国民教育」 が目的の、学校教育でも 「グローバル人材」 を育てるという発想は、すくなくとも教員の間では、ないですね。
 あるとすれば、それは、最近、「グローバル人材」 を育ててくれ、そういうのでないと採用できないよ、という要請や要望があるからです。
 学校・大学経営者は、卒業生を企業に売り込むために、その要望にこたえようとしても、肝心の現場の教員には、特に日教組の強いところでは、学校教育は、企業のためではない、と拒否感がつよいでしょう。もともと、「人材」 を育てること自体を拒否してましたからね。
 
 人は、生まれながらにして、「材」 ではありません。学校教育で 「材」 にされるのです。 その学校教育でも、大学教育レヴェルで、文学部で、哲学とか、文学、考古学など、「役に立たない」 ことをしていると、「材」 にはなれません。 だから、企業は雇ってくれません。
 「材料」 は、劣化するし、新しい 「材料」 が、出てくると、それまでの 「材料」 は、使い物にならなくなります。「人材」 も同じです。
 「グローバル人材」 は、新しい 「材料」 です。いままでの 「人材」 を、作り直してできるものではありません。
 となると、すでに大学を終えてしまっている人は、もう 「グローバル人材」 には、なれなくなります。「グローバル人財」など、無理無理の話です。
 定年退職した人には、縁のない話です。
 私のブログを読んでいてくださる方は、寅さんに言わせれば 「それを言っちゃおしまいだよ」 でしょうが、もう 「グローバル人材」 になることはできないのです。 そんなものなりたくない、なら、別にかまいませんが。
 しかし、「グローバル・パーソン」 になら、なれるのです。
 「グローバル・パーソン」 と 「グローバル人材」 の大きな違いは、後者が、他人の金儲け(だけではありませんが)の 「材料」 として存在であるのに対し、「グローバル・パーソン」 は、自分の生き様のあり方です。
 という話をこれからしてみたいのです。

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