「グローバル・パーソン」の「面」をつけると、国境が消える。

Person と People について、思いついて、google で比べてみました。Search option としては、英語に限定し、地域は限定してありません。
Japanese person 241,000 Japanese people 5,730,000 4.2 % 
Asian person 251,000 Asian people 3,630,000 7 %
African person 61,300 people 3,840,000 1.6 %
American person 205,000 American people 70,500,000 o.3%
European person 161,000 people 1,710,000 10 %
Russian person 38,400 people 2,500,000 1.5 %


この数値をどう読むか、「読み人次第」です。
「私の読み」では、
ある国の国籍を持つ人に refer する場合、圧倒的に、その国の人全体のことを言う場合が多く、個人のことを取り上げるのは、少ない、
ということです。国や地域による差は、どう読むか。アメリカが圧倒的に少なく、Europe が、もっとも多いのは、なんとなくわかる気がしませんか。

肝心の global person と global people は、
global person 18,800 global people 462,000 4%

 これは、遊びのつもりです。まんざらそうでもないですが。
 
 こういう状況での、global person のあり方です。

 Smartphone/tablet で、ネット上の、日本人でない、他の国や地域の普通の人が、英語で書いた、普通の日常の話の blog や twitter を、寝転んで読んでいる場合のことです。
 「寝転んで」というのが、大事です。別に実際に「寝転んで」いなくてもいいですが、要するに、机に向って構えている、というのでなく、さりげなく、何となく、日常のありふれたこと、ということです。
 その時の「感覚」ですが、何度か言っているように、英語を読んでいる「感覚」でなく、「ことば」を読んでいる感覚の状態です。
 今このブログを書いている私も、読んでいる人も、所詮日本人です。Japanese people の一員の Japanese person です。意識はしていませんが、ちゃんと Japanese person という persona つまり、mask を wear しています。
 が、寝転んで、他の国の person (people でなく)の blog/tweet を読んでいると、そういう人が、すぐそばにいる「感覚」になります。「寝転んでいる」からといって、そういう人たちが、特に異性が、隣で「添い寝」をしている「感覚」にはなりませんが。(余計な話でした。)
 そのときには、当然その人たちが wear しているはずの、それぞれの国の persona (mask) が、何なのか、意識しない「感覚」になっています。少なくとも私の場合は。
これは、毛利さんが宇宙から globe を眺めて、国境線がない、と思った「感覚」と似ているような気がします。
画像

地球儀を見ると、ちゃんと国境線があります。
画像

 Global person は、見てはだめですね。そもそも「地球」儀と呼ぶのがおかしいかな。
 
 人には、それぞれの場に応じた role play のための persona (mask) を、無意識のうちにも wear しているはずです。(実証できないので、「はずです」としかいえませんが)。
 で、ちょっと乱暴な結論ですが、その時、wear している persona (mask) は、国境のない global person という persona だ、というのが、私が、最近考え出したことなのです。この「出した」は、「そういうことを始めた」という意味と「そういうことを作り出した/生み出した」と、二重の意味です。
 ちょっとややこしい話ですが、逆のことを言うと、少しわかりやすくなるかも知れません。
 前置きがあります。
 以前、Nexus 7 で、英文を読んでいて、ある単語の意味を調べようと、pre-install されていた online dictionary を出したら、default の「英和辞書」が出てきて、違和感を感じて、English dictionary に切り替えたという話をしました。
 寝転んで、隣の人(という感覚)の blog/tweet を読んでいて、意味不明の単語に出会った時、もし、「英和辞書」でその単語を調べて「日本語」特に「漢語」が出てきたら、途端に「国境」が現れる「感覚」になる、と思いませんか。「国境」が現れた途端、隣にいた人は、国境を隔てた、遠くの国へ行ってしまう「感覚」になるのでは、というのが、私の「感覚」なのですが。
 ことは「感覚」の問題ですから、人によって、違うでしょう。「感じ方の違い」という言い方もありますから。
 
 こうして global person という persona (mask) の role play をしていると、どうなるか、です。 
 そもそも、この話のきっかけで紹介した、中日新聞の Hofmann さんの記事の紹介の仕方、そこにあった「識者」のコメントに違和感を持つのです。
 あそこでは、「日本の母親は」とか「日本にはいない」とか「米国では」という、「国境のある」コメントや表現が主流でした。つまり、Japanese person (というより、むしろ Japanese people) という persona (mask) をつけた人たちが、ああだ、こうだ、と言っていたのでした。
 Global person の persona (mask) を、無意識的に wear していると、「日本では」「日本人は」「あちらでは」という「感覚」にならないのです。そういう「感覚」になったことのない人には、わからないかも知れませんが。
  で、そうなると、どうなのだ。何かいいことあるのか。そうでないと、損するのか、そうならないと、グローバル人材(財)になれないのか、などなど、いろいろ疑問というか、質問がでてくるでしょう(か)。
 こういう問題は、person として、ひとりひとり自分で答えを見つけるべきことです。本来は。
 そこは、言い出しっぺとしては、多少責任がありますので、明日まで、考えられることは、考えてみます。寝転んで。

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