「書きしぶり人」 は、著作権が生んだ鬼子。

 著作権というのが、いつ頃から、のさばりはじめたか、各国によって事情がことなります。
そういうことは、Wiki で調べればわかります。

 デユマが活躍した1800年代のフランスには、著作権があったか、どうか。
調べたら、よくわからない、ということがわかりました。こういうことです。
 Wiki には、「フランスでは革命時に、著作者の権利が宣言され」 と書いてあります。
また、 宮沢 溥明 『著作権の誕生―フランス著作権史』 の Amazon.co.jp にある内容説明にも、
著作権の真の誕生はフランス革命。 王より与えられる特権から、著作者の 「もっとも神聖な所有権」 へ。
と、書いてあります。

 この本、中古しかなく、9000円しますので、ちょっと読むことは無理かな。
デユマが、生まれたのは、フランス革命より後の、1802年です。 フランス革命の時に著作権があったとすれば、
デユマが人の書いたものを、「盗んだ」 のは、犯罪になります。

 ところが、デユマと同じ年の生まれで、同時代に活躍し、仲良しでもあったヴィクトル・ユゴーについて、彼が、フランスの著作権の保護に尽くした、という研究があります。
舘野 直子ヴィクトル・ユゴー研究史 ユゴー・イメージの変化とユゴー研究』 という PDF 文書に、
 近年フランスでは、ネット社会における著作権保護との関係で、ユゴーの著作権保護への取り組みが特に注目を集めている。1840年代ユゴーは文芸家協会会長や議員として文学作品の検閲に反対し、言論の自由を守るとともに著作権の保護を訴えた。
と書いてあります。
 私なりに推測すると、フランスでは、やっぱり、フランス革命の時、つまり、1789年ごろに、著作権が 「誕生」 していたが、フランス的というか、ラテン的 「いい加減」 さで、さして厳密に、真剣に守られていなかった。 罰則も厳しくなかった。  なによりも、そんなもの無視して、次から次へと傑作を生み出して、人々を楽しませる デユマの作品の人気の前には、著作権無視のデユマを罰することはできなかった。
『パリの王様』 には、ユーゴが、そんなデユマを諌める場面がよく出てきます。
 せっかく著作権という法律で保証された、作家を守る権利があるのに、それをデユマのように無視する作家がいるので、ユゴーは、文芸家協会会長としても、デユマより15年も長生きしましたから、彼に遠慮することなく、著作権保護に尽くしたのでしょう。 その努力の甲斐かどうかは、知りませんが、Wiki によれば、
その後、1886年のベルヌ条約で国際的な著作権の取り決めができ、1952年に万国著作権条約が締結された。
 かくして、著作権が国際的に確立し、すこしでも、他人のものを、断りなく無断借用すると、厳しく糾弾されるようになりました。 そして、デユマのような作品を書く作家は、いなくなりました。 Am I wrong?
 司馬遼太郎や池波正太郎がいるかな。 What do you think? なのとなくスケールが違うかな。
それは、さておき。

 そして、インターネット時代が始まりました。
それより以前のワープロ時代から、画面上の文章を、copy (cut) & paste することが簡単にできるようになりました。 単に paste するだけでなく、copy した文章を、パラグラフ単位、または、文単位で、自由に並び変えて paste できるようになりました。
 デユマがしたであろうように (じっさいにしたかどうか知りませんよ)、cut したい文章をハサミで切って、のりで、貼り付けていては、一旦貼り付けると、あとから、順番を変えるのは、大変です。
 スクラップブックで、そういう経験をした世代は、身にしみているでしょう。
ワープロが始まった頃の c&p 事情について、
ワープロによる cut & paste 時代到来
に、結構エピソードも交えて上手に書いています。
 ワープロ時代は、自分の文章の c&p でした。
それが、インターネット時代になると、ネット上の人の書いた文章が、自由に、勝手に、c&p できるようになりました。
Copy & Paste は、インターネット時代に始まった。
 しかし、インターネットのない時代に生まれ、育ち、学校教育を受け、大学で勉強した人、特に文学畑の人は、
著作権を、犯さざるべからずの 「神権」 のように考えているし、「作品」 の 「創作性」「オリジナリティ」 信奉者ですから、「作文」 に限らず、すべての 「書きもの」 は、自分で考えたものでないと、価値をみとめない、という習性が染み込んでいます。 デユマやシェークスピアが、そうした、ということは、わすれているようです。
 ですから、生徒や学生が、ネット上の他の人の書いたものを、たとえ出典を明らかにし、借りたものです、と明記して、自分の文章にしても、全部でなく一部でも、けしからんと、怒ります
「コピペ」は、悪である?
では、c&p って、そんなに悪いことなの、と開き直って?います。(そうだったかな?)
 デユマやシェークスピアの書いたものは、文学作品でした。 「創作」 すべきものでした。 だから、彼らの書いたものは 「作品」 でした。

 学校で、生徒・学生が書くのは、小説などの文学作品ではありません。 彼らは、「創作」 するわけでなく、むしろ、「理科系の作文」 「社会系の作文」 で、事実に基づいた 「事実文」 を書くのです。 「読書感想文」 は嫌いです。 彼らの書くものは、「作品」 ではありません。
 ブログも、「作品」 ではありません

 そういう 「書きもの」 に、本来文学・文芸の世界の創作物に属する 「著作権」 を、水戸黄門の 「印籠」 の如く、「この紋所 (著作権という)が目に入らぬか」 と、ひれふさせるのは、どう思いますか。
 
 それもですよ。世に言う文学者は、著作権を主張します。生きている間だけでなく、あの世に行ってからも、50年も手放しません。最近は、それを70年にする、と言っています。
 ひとりくらい、自分は、そんなもの要らん、という人がいてもよさそうですが、誰もいいませんね。石原慎太郎さんも言ってませんね。
 その一方、ネット上に文書を公開している作家でない人は、特に、文章を書いて生計を立てている 「物書き」 でないひとは、著作権など主張するどころか、自分の書いたものに著作権がある、ということも意識してません。 Me, too.
 そういう時代になっているのです。
Copyleft の blog の時代が来た。
は、そういうことを書いています。

 ブログは、そういう時代の 「書きもの」 なのです。
皆さんの学校時代にはなかったので、どうやって書いたらいいか、書き方の訓練を受けていません。
書く稽古といえば、「作文」 か 「読書感想文」 だけでした。
そこでは、「作品」 を 「創る」 ことが、要求されました。 ハサミとのりを使うことは、犯罪行為でした。

そういう意識でいるので、reluctant writer になってしまうのです。
ここは、ひとつ意識改革をしたら、というのが、このところ盛んにけしかけているところです。
ブツブツ言っていたら、いつの間にか、日曜日の午後も更けてきました。昼寝の時間も過ぎてしまいましたので、ここで一旦中断します。 お休みなさい。

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