40年前の「国民皆教師」論。

 デジタル教科書がキンドル本になれば、教師は要らない、と言いました。教師は要らなくても「学校」(学ぶところ)は、なくならないし、そこに子供だけおいておくわけにはいかないので、子供の面倒をみる大人は要るわけです。そこで、出てくるのが、「国民皆教師」という考えです。
 それを、今から40年前の1980年(昭和55年)に、私が考えたのです。
 その頃の私は、英語教育に関して、どういうことをしていたか、というと、

1971年 「英語教育の変革」出版(SFプレス)
1976年 「現代英語教育」誌に1年間「英語教育モジュラーシステム」連載
1977年 文部省特定研究「言語」より3年間の科学研究助成金を得る。
1980年 帝人教育システムより児童英語教育システム開発依嘱。
1980年 『英語教育の変革80‘s』出版(東京・学文社)
1981年 教育出版英語教科書One World中央著者(以後6年間)
1982年  岐阜市に RILA(Research Institute of Language Arts)設立。 (出資帝人教育システム)
1982年 文部省特定研究「言語の教育」より3年間の科学助成金を得る。
     (1980年、1981年も別途科学研究助成金を得る。総額2,000万円強)
1986年 ヤマハ「子どもの英語教室」児童英語教育システム開発を依嘱。

 英語教育界では、結構全国的に名前を知られた存在でした。何しろ、帝人教育システムとか、ヤマハとか、教育出版とか、東京の会社が、いろいろ依頼してきてましたから。
 「国民皆教師」論を展開したのは、1980年 『英語教育の変革80‘s』出版(東京・学文社)の最後の章でした。
これは、1971年 「英語教育の変革」出版(SFプレス)をもとにしていますが、ここでは、まだ「国民皆教師」論は、述べていません。
 その後の10年の経験が、この「国民皆教師」論を構想させたようです。
 この本の帯に、恩師外山滋比古先生の推薦のお言葉をいただいています。
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 これは、果たして、私の「国民皆教師」論まで読まれたうえかどうか、今はお訊きするすべもありません。

 この頃には、MS DOS base のパソコンは普及しはじめていました。また、私は各種ビデオ機器を使いこなしていました。そのことが、外山先生をして、「この本の特色は器械に強いことであろう」に反映しています。

 そこで、この40年前の「国民皆教師」論を、どうやって紹介したものか、ちょっと(だけ)迷いましたが、いっそのこと、そのまま40年前の姿で紹介してしまおうと決めました。
 ということは、そこのところを丸写しして、このブログに転載する、ということです。「丸写し」と言っても、筆写したり、typing するわけでなく、DX 時代は、文章を読み上げて音声入力でデジタル化するわけです。

 では、さっそく紹介します。40年前といえば、44歳です。ちょっと、青臭い文章です。

 ここに掲載しようとする新しい英語教員養成制度は、 過去の養成制度を否定し、 さらに現行の改善案も退け、 それからは完全に離陸した、まさに変革的なものである。
それは、次の2つの点で変革的である。
① 人間の能力に頼らない。
② 英語教える教員は、これを養成しない。
こんなふうに英語教員養成制度を変えてしまったら、果たしてこれで英語を学び・教えることのできるような英語教育の変革ができるだろうかと、 まずは誰しも疑うであろう。しかし、実は、この2つの立場に基づいた英語教員養成制度の変革こそ、本書の説いてきた英語教育変革を可能にするものである 。
 以下、そのゆえんと具体的提案・方策について述べる。
国民皆教師
 従来の教育の改善案・機能増大の 対応策は、 人間の能力、さらには、その教科に頼るものであった。 すなわち、まず少数の有能な教師の能力を強化する、それでは追いつかない。 そこで教師の数を増やす。 増えた部分は能力的の劣るので、 それを強化するための研修という策であった 。
 
 それらの方策が失敗し、あるいは、難点があるとわかった今、人間の能力に頼る教員養成は、 もはや考え直す時ではなかろうか。
 そういう立場から改めて考えてみると、今まで指摘したことも含めて、従来の人間の能力に対する方策がうまくいかないのは当たり前で、これからは、ますますダメだと言う原因にいろいろ思い当たる。 それは次のようなものである。
① 所詮人材は有限である。 教育の分野で独占するわけにはいかない。
② 凡庸なるものの能力開発は金と暇がかかりすぎる。 肝心の学習者のための教育より。 教育するものの教育のほうに手がかかるという本末転倒現象が起きかねない。
③ 所詮人間は万能でなく。 人間能力にはムラがある。個人的には常時一定の能力が期待できないし、集団的には全て等しい能力の教師を揃えることは不可能である。すなわち、常に安定した一定の教育パフォーマンスは期待できない。
④一方、学習者は、教師の選択ができないし、できたとしたら特定の有能な教師のところへ殺到する。 全ての学習者に等質の有能な教師をあてがうことは、③を考え合わせれば無理な話である。
⑤ 教育を求めるものは、増加することがあっても減ることはなく、他方学習すべきことが増える一方である。 これにて、① ② ③ ④ の条件下で対応し、一定のアウトプットを期待することは不可能である。  

 と、まあ、こんな調子です。今日は、イントロでやめておいて、続きは明日以降にします。

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