「印象派」の「写実」。

Courbet たちの「写実主義」絵画が、言って見れば、「写真」には敵わないと見て知った次の世代の画家たちが始めた画風が「印象派」と呼ばれるようになったわけです。その顛末は、よく語られているところです。下記 Wiki の記事が参考になります。「写実主義」が「写真」に負けて経緯も記されています。
http://en.wikipedia.org/wiki/Impressionism
 印象派といっても、画家によって、様々な絵があり、どういう絵が印象派の絵なのかは、一口では言えません。興味ある人は下記サイトへ行くとよいでしょう。印象派の代表的な画家のほとんどの作品が網羅され、その画像を見ることが出来ます。
http://www.salvastyle.com/collect/00_impressionism.html
 ちらっと見ただけでも、モネの睡蓮、マネのヌード、ドガの踊り子、ルノワールの盛り場風景、何が共通なのか、素人にはちょっと分かりかねます。あえて言えば、だから、写実的でない、ということです。実物はこんなふうじゃないよ、ということでしょう。だから、当時の人たちは、専門家までが、こんなものは「絵」ではない、単なる「印象」ではないか、と、高名な批評家がけなしたので、十把ひとからげにして「印象派」と呼ばれたのです。
 その中でも、「印象派」の名づけのもととなった、モネ(Claude Monet 1840- 1926)の「印象、日の出(Impression, soleil levant)1872-73」が、もっとも「印象的」でしょう。http://en.wikipedia.org/wiki/Claude_Monet
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 「印象派」の画家の特徴のひとつは、戸外での制作が多いことです。戸外での制作が盛んになったのは、一時代前のミレーを代表とするバルビゾン派の画家の時代からですた。先に紹介した、ミレーの「晩鐘」や「落穂拾い」を思い浮かべればいいでしょう。
http://en.wikipedia.org/wiki/Barbizon_school
 どうしてそうなったかは、上記 Wiki の記事にも説明されていますが、ひとつの大きな動機は、チューブ絵の具が発明されたことでした。それまでは、フェルメールの「真珠の耳飾の少女」の映画の場面にもありましたが、「画家」は、自分で絵の具をいろいろな素材から作らなければなりませんでした。ちょうど昔の医者が、自分で薬を薬草などから、作らなければならなかったのと同じです。そういう状況では、戸外で絵の具を練っているわけにはいなかないので、絵を描くのは、もっぱら室内の仕事場でした。
 風景を描く風潮と、チューブ絵の具の普及とあいまって、「印象派」の画家は、どんどん戸外へ出て行ったのです。マネ(Édouard Manet 1832-1883)などは、あろうことに、「草上の昼食 (Le Déjeuner sur l'herbe)1862-1863」を描いて、戸外でスッポンポンでいる女性を描いて物議をかもしています。その物議については、下記サイトを読んでください。
http://www.salvastyle.com/collect/00_impressionism.html
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 もっともこの物議が、モネなどの他の画家の興味を惹き、マネを親分?とする、後に「印象派」と呼ばれるグループを作る契機になったのです。
 ここからが、ちょっと難しいところです。説明するのが、
 今日のブログ、「印象派の写実」となっています。「写実主義」絵画を脱しようとする「印象派」が「写実」とは、矛盾してますね。なんで、こんな題つけてしまったのかな。
 美術史の専門家や絵画批評家は、どういっているか調べてませんが、私が思うには、モネは、自分が見た「日の出」の「印象」を「写実」したのです。同じ「日の出」を見ても、人によって「印象」は違います。何の「印象」も持たない人もいます。しかし、モネは、ある印象を持ったのです。それを彼は「絵」で「写実」したのです。同じ「日の出」を見たら、Debbusy(Claude Achille Debussy 1862-1918) は「音楽」で写実したでしょう。彼は「印象派」の画家たちからやや遅れて活躍し「印象派」と呼ばれました。
 http://en.wikipedia.org/wiki/Claude_Debussy
 だから、「写実」というのは、何も「外界」の「事柄」を見たまま「写」すことではないのです。
 自然の風景は、時々刻々姿を変えます。特に太陽の光とともに。そうすると、同じ「風景」でも「印象」が変わってきます。
 下の画像は、モネの一連の「積みわら」の絵の画像です。これらの絵は、現在では、別々の美術館に所蔵されているので、実物を並べてみることは出来ませんが、ネット上だからできることです。モネは、季節、時刻とともに変わる、同じ「積みわら」の「印象」を写実したのです。「積みわら」自体を描くのなら、一枚描けばすむのですが、「印象」は変わりますから、変わった「印象」を描く必要があったのです。http://www.salvastyle.com/menu_impressionism/monet_meulesa.html
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 同じ友人・知人でも、会う場所や行動によってまったく違う「印象」になることがあるでしょう。顔つきまで変わるくらい。絵が描けない人は、そういう印象を「写真」で残しておくことが出来ますね。
 閑話終わり。
 「積みわら」は、 1890-1891年の制作ですが、モネは1899年から1901年にかけて、数回に分けてロンドンに滞在(各滞在は2~3ヶ月程度)し、今度は、「ロンドンの国会議事堂」の「印象」を描いています。全部で、6作(と思います)です。そのうちの三つの画像を紹介します。これらも、同じ美術館には所蔵されていないようです。
ロンドンの国会議事堂、霧を貫く陽光
ロンドンの国会議事堂、テムズ川の反射
ロンドンの国会議事堂、太陽の効果
ロンドンの国会議事堂、夕暮れ』
ロンドンの国会議事堂、日
ロンドンの国会議事堂
http://www.salvastyle.com/menu_impressionism/monet_parlement.html
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 というわけで、「写真」の「写実」に対抗するために、「印象派」の画家たちは、「印象」の「写実」で、まあ言って見れば「勝負」した、というのが、素人美術好きの感想です。
「印象」の「写実」と、いえば、ルノワールの女性の肌が何でこんなに青白い、といわれても、私の「印象」です、と言えるでしょう。
「印象派」の流れを汲むゴッホなら、実際のひまわりは、こんな風ではない、といわれても、私の「印象」ですと、言えばいいわけです。
というわけで、Da Vinci 以来の「写実」は、「写真的」な「写実」から、だんだん「印象」の写実になり、ついには、元の形の見分けのつかない sur-realism の art になったのです。彫刻の分野では、昨日紹介した Moore や Zadkine の「写実」がそうです。絵画では、今『生誕100年 ジャクソン・ポロック展』が愛知県美術館で開かれている Jackson Pollock にいたるわけです。([東京会場] 東京国立近代美術館.2012年2月10日(金)~2012年5月6日(日))
http://en.wikipedia.org/wiki/Jackson_Pollock
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 これが、結構人気がある、ということは、どう考えたらいいでしょうか。皆さんも、会期中に一度見てきて考えて「写実」について、考えてみたらどうでしょう。
 ということで、今日は日曜日でした。この辺で。

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