グローバル・パーソン。あるイメージ。

 いきなりです。
 宮沢賢治の次の詩は、知っている人が多いでしょう。
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 この詩のなかの、東西南北は、宮沢賢治にとっては、当時は日本国内のことだったでしょうが、彼が現代に生きていて、この詩を書いたら、彼の意識する東西南北は、アフリカや、アジア諸国や、中南米などなど、地球上のすべての場所だったのではないか、と、しきりに思うのです。皆さんは、どう思いますか。
 そして、彼の意識には、国境はなく、「病気の子供」「疲れた母」「死にそうな人」は、どこの国の人というのでなく、
ただ、この「地球上の人」というだけででしょう。「喧嘩」や「訴訟」は、国と国のことではなく、人と人のことであり、「日照り」は、他の国こととは、思わなかったでしょう。あくまで推測ですが。
 こういう意識は、これまでに紹介した。Veg ちゃんや。Kids are Heroes の Vivienne ちゃんと共通するような気がするのです。皆さんどう思いますか。
 Veg ちゃんや Vivienne ちゃんは、恵まれた家庭に育ち、何不自由なく(と思いますが)暮らしています。それに対して宮沢賢治の暮らしのイメージは、貧しい。
 宮沢賢治が、「グローバル・パーソン」のイメージとなると、そんな貧しい「パーソン」になったり、子や孫や生徒を、そんな貧しい「パーソン」にするのは、いや、という人がほとんどでしょう。
 だから、宮沢賢治のようになれとはいいませんが、この詩に込められた、「気持ち」を持つことは、「グローバル・パーソン」になるには、必要ではないかな、と思うのです。
 Veg ちゃんや Vivienne ちゃんが、宮沢賢治のこの詩を読んだら、と、想像してしまいます。皆さんのご想像に任せます。
 そして、そして、大事なことは、Vivienne ちゃんのことばです。先に紹介しました。
"Compassion is not compassion without action.”
  Vivienne ちゃんは、action を起こしました。Veg ちゃんも。だから、glob e 上の人々に国境を越えて感銘を与えました。
  宮沢賢治は、この詩にあるような action を実際にしたかどうか、どなたか知りませんか。別に起こさなかったからといって、この詩の価値が減るわけではないですが。
  また、この詩を読んだ人で、実際に、この詩のような action を起こした人は、何人いるのかな。
  これからでも、遅くない。
  今日は、こんなことを考えました。
  「グローバル・パーソン」とは、global issue に対し、action を起こす人。
  自戒を込めて。

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